学歴・会社がステイタス=人を見る目がない社会

前回の漠然と流されて生きる人生の無意味さという記事に、自分自身の大学時代の過ごし方を例に挙げ、「みんなが行くから」「それが当たり前だから」という理由で大学に進学し、大学卒業の肩書を得るために漠然とした4年間と数百万円を費やしてしまったのは愚かだったという気づきについて書きました。日本の大学は入学には勉強が必要だけど卒業するのは簡単、と言われているように、卒業よりも入学試験をパスできたことに重きが置かれているものだなと感じます。難関大学卒業の肩書が学歴として通用するとすれば、4年間の過ごし方というよりも、その大学・学部に受かるだけの学力があったことが価値になっていると思います。

就活ではいまだに学歴がものをいう傾向はあるように思いますし、女性が結婚相手を選ぶ際にも、ある程度の学歴を相手に求める人は多いのではないかと思います。「3高」のような概念はもはや崩れているとも言えますが、それでも相手の学歴や収入(会社のブランド)はできれば高い方が良いという思想は根強く残っているのではないでしょうか。人間誰しも「学歴や収入(会社名)がすべてではない」と言われて反論する人はいないと思いますが、それをわかってはいても相手を条件付けで見ようとしてしまいますし、人間を外側の記号のようなものから判断する傾向は大いにあると思います。

就活はミスマッチばかりで早期離職が後を絶たない、結婚しても離婚が多い、不仲が多いとしたら、それはそういった学歴や会社名で人を判断するという価値基準そのものが間違っているということの動かぬ証拠ではないかと思います。外側の記号のようなものでしか相手を見ない、判断できないからこそ起こるミスマッチ。もし、就活において、人事が志願者の深い部分や人間性をしっかりと判断できるのであれば、また、婚活においても女性が学歴や会社名だけで相手を選ばず、男性も見た目の美しさや若さ重視で相手を選ばなければ、こういった悲劇は避けられるのではないでしょうか。

結局のところ、学歴を求めたり、有名な名の通った企業に入ろうとする傾向というのは、就活で選ばれるように、結婚市場において選ばれるように、という無意識レベルでの合理的判断によるものが大きいのではないかと思っています。おそらく先に選ぶ方の価値基準があって、選ぶ方により評価される生き方を多くの人々は選択しようとしているように見えます。つまりは、学歴や会社名がステイタスになってしまう社会というのは、人を見る目がない社会と言えると思います。多くの人が外側の記号でしか人を見ないからこそ、学歴や肩書を得よう、わかりやすく評価されそうな生き方をしようとしてしまうのでしょうね。

その割に、私たちは外側の記号で自分たちを判断されることをものすごく嫌う傾向もあると思っています。本当は自分の内側を見てほしい、わかってほしい、共感してほしい、理解されたい…本音ではそう思っているのにもかかわらず、自分も相手の外側しか見ないし、外側ばかりを磨こうとしてしまいます。自分が相手を見る時に、内面の生き方、思想、価値観、心の美しさ、愛にあふれた人か、といった深い部分を見ようとすればするほど、同じように自分の深い内面のあり方に気づいてくれる人が現れるものです。そして、外側を磨く(高める)よりも内面を磨くことの方が本質的に幸せな道であると気づくようになると思います。私はこのことを身をもって実感しており、内面の世界に目を向けるようになってからは、自分の深い部分を理解してくれる方々に囲まれる心地良い人間関係を築くことができるようになってきました。誰もが生きづらいと感じる学歴社会・会社名社会を変えるためには、一人一人が人を見る目、価値基準を見直していく必要があるのだと感じます。

(今日はオフ会の日でしたが、前回に続き2連続で参加者なしでしたので今後はリクエスト開催にします。ご希望の方いらっしゃいましたら個別で日程調整をしたいと思いますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。スカイプも可です。)

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