外はどうあれ粛々と自分と向き合い続けるだけ

昨日は大統領選の話題で持ちきりだったようですが、テレビがない私は世間でどんなにニュースになっているのかよくわかっていない部分もあります。社会派な内容を書くくせに私は政治にはあまり関心がなく、勉強しようと思ったことはないし(そもそも興味なさ過ぎてやる気にならない)、これからも必要以上に学ぶことはないと思います。大学受験の時も法律・政治経済系学部は一つも受けてないですしね…。

世の中を変えるのは、政治ではなく人々の「意識」という記事を前に書いたのですが、この考え方は私の根幹となっており、とにかく政治よりも人々の意識が大事であるということを常々思っています。外の世界には何もなく、戦争であろうが、大自然であろうが、すべては私たちの内面の意識の投影であると。唯物論的、物質主義的考え方ではその真理には到達できないと感じますし、いつまでたっても「誰が」政治をするかが世の中を決めるというロジックの罠から抜け出せません。個人レベルのパーソナルな問題であれば、自分の意識が身の周りの出来事全てを創っていたのだ、と腑に落とすことも比較的容易なように思いますが、国レベル、世界レベルのスケールの話になると、それはもうどうしようもない、不可抗力的なものだと感じてしまうものです。しかし、すべては相似形、ミクロコスモス、マクロコスモスなのであり、集合無意識が投影されたのが大きなスケールでの世界であるということです。

世の中が激動の時代を迎えるにあたって、一番大切なのは、個人個人がしっかり内側とつながることであり、自分を知り、自分らしい生き方を取り戻していくことに間違いはありません。昨日の書き手、受け手のあり方は表裏一体の記事にも関連しますが、ありとあらゆる世界はコインの表と裏。外の世界と内側の世界も同じことで、外側が激動の時代になるのであれば、内面も激動の時代になるということです。世の中が目まぐるしく変わるのであれば、私たちの内面も目まぐるしく変わる。大事なのはそのベクトルや方向性で、外の世界に振り回されさらなる混沌、カオスの世界に迷い込み、取り返しのつかない事態になるか、高次の自分に目覚め意識を変容させ、本来の自分に自信を持って自分らしく輝いて生きるか、それは完全にその人次第ということになります。スピ系サイトでも「これから意識の二極化が加速する」とよく書かれていますが、それはそういうことです。意識のありようによって経験する世界が全く別のものになる、そんな時代の幕開けが今回の大統領選という気がしました。

多くの人は(私もそういう意識になることもまだありますが)、外の世界が悪い、誰々が悪い、環境が悪い、だからこうなったのだと、悲劇のヒロインを演じてみたり、被害者意識に陥ることもあります。しかし、私たちの意識が全てを創造していることを完全に腑に落としていれば、外の世界には何もないことに気づき、被害者意識に陥ることはないのですね。外が激動の時代ならなおさら、とにかく内側へ、自分の本質へと意識を向けていく必要があり、テクニック、方法論を学ぶよりなによりまず、自分の意識の変容が第一優先事項だと思います。

日本国内を見ても、電通の不祥事や大手芸能事務所のグループ解散騒動、別の大手事務所のレコ大買収騒動、お台場テレビの低視聴率などなど、メディア界だけでもトップや王者の地位が揺らぐような事件も起きていて、時代の流れの変化を感じさせます。これからますます本質主義、価値主義の流れが加速して行くのは確実で、本質からかけ離れた事業、新しい価値を創造できない人、会社は容赦なく淘汰されていくのではないかと予想しています。本質はどこか遠くにあるのではなく、常に自分の内側にしか存在しません。どんなに世間が騒がしかろうと、静寂の中で内面を見つめ、粛々と自分と向き合い続けていくこと以上に大切なことはないのです。

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