多様性を許容することの難しさと重要性

今日は通っている自然医学の講座の日でした。受講者のみなさんで日々の状況をシェアリングする時間があるのですが、今日の全員に共通するテーマは「価値観や考え方の違う人との付き合い方、多様性を認めていくこと」であったようで、私も思い当たる節がかなりあったので真剣に取り組んでみました。当たり前ですが、世の中の人々の価値観や考え方は一人一人みんな違うわけで、違うのが当然。人と人との関わりの中で、自分とは違う価値観を持つ人とどのように付き合っていったら良いかというのは永遠のテーマですよね。

「多様性を認めよう」というのは言うは易し行うは難しの代表格で、つい相手を否定したくなったり、変えたくなったりしてしまうものです。そんな経験はどなたにもあると思います。私も最近ある方に「いま占星術にハマっていて、こんな風に読めて面白いんだよ」と話したところ、「そんなのあるわけない、信じない」のような返答をいただき、やっぱり人それぞれ感じ方は違うんだなぁと改めて思ったりもしました。そんな時に、みなさんだったらどう返しますか?私は強引に勧めるのが好きではないので、そういう人もいるよね、みたいな感じでスルーしたのですが、それにどう返すのかというのは本当に人それぞれですよね。その人の意識が如実に出るだろうなと感じます。

「他人は自分の写し鏡である」ということを考えると、私の中にも占星術に対してまだ疑う気持ちがあるということが見えてくるね、という話を先生としていて、本当にそうだなぁと実感し、その方は私の中にあるいろんな疑念や占いへのマイナスイメージなどを見せてくれてたのだなぁと感じました。「自分」と「他者」という二元論の世界に生きていると、「他者」が「他者」にしか見えず、相手が悪いと思ってしまって否定したり支配したりしようとしてしまうものですが、この世界というのはすべて私が想像し創造した世界である、ということを真に腑に落としていくと、「自他」の区別がなくなり、相手の意見や価値観そのものも自分の中の何かの投影であるということがだんだんわかってきます。

そう考えると「多様性を認めること」というのは、実は「自分が投影した他人」の価値観を認めること、とも言うことができ、結局は自分の中にある(無意識的なことも多い)価値観を認め、統合していく過程なのかもしれません。「他者」を「他者」ととらえる分離した世界にいる以上は、否定したり、排除しようとしたり、見て見ぬふりをしたりしてしまうものですが、起きてくる出来事や事象=すべて自分が創り出しているとわかれば、もっともっとおおらかな気持ちで対応することができて感情も乱れなさそうですし、起きてくる現実も変化してくることと思います。

「認める」「許す」といったキーワードは、スピリチュアル系では頻出ワードなのですが、「他者」を「他者」ととらえたままの分離の世界を前提とした場合と、すべては自分の写し鏡、内面の投影であることを理解し、「私の世界は私が創っている」という統合された世界を前提とした場合では、意味合いが少し違ってきますね。分離の世界においては、ついつい相手が悪いとか、その考えは間違っている、とか思ってしまって、人間関係が行き詰まることが多いのですが、少し見方を変えると世界が全く違ったものに見えてくることがわかります。

昨日の夏至以降、この地球は二元論の分離の世界から、ますます統合の方向へ向かってゆくそうです。他の方がどうされるかはさておき、私は「統合」へ向かいたいですし、もっともっと「調和」した人生を歩んでいきたいと感じています。体調不良から数日間はフェイスブックもあまり開く気にならず、内観することの多い日々で、今は自分と向き合いたい気持ちが強いです。「他者」とのかかわりの中から自分を「統合」していくヒントをもらい、さらに生きやすく自分らしさが輝く人生にシフトチェンジしていきたいと感じました。

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