「自分を甘やかす」ってどういうこと?

私はよく他の人から「もっと自分を甘やかしていいんだよ」とか「自分に厳しすぎるんだよ」とか言われることがあります。私自身、こんなに自分を甘やかしているつもりなのに、それでも他人からは自分に厳しい人に見えているのかぁと驚いています。どこら辺が「自分に厳しい」と言われるのか、自分はよくわからないのです。今はほとんど働いていないし、日々好きなことをして、内観して過ごしているだけで、傍から見たら親から甘やかされて育った怠け者とも思われかねないと思います(笑)。すごく自分に甘いなと感じています。

もし、「自分に厳しい」と思われる要素があるとすれば、家で食べるものは極力有機のものにしてたりするところや、日用品含めて化学物質を避けた生活をしていることなど、日常生活に関することかもしれません。それは私に言わせれば、そうしないと健康を害すから(ある意味仕方なく)そういう生活に切り替えざるを得なかったということが大きく、地球環境への配慮や私たちを化学物質漬けにしようとする支配層への小さな対抗という目的もありますが、「自分を律して」そういう商品を選んでいる、という感覚はありません。我慢して買わないのではなく、欲しいと思わないから買わないだけなのです。ストイックに、禁欲的にそうしている、という意識ではないんですね。

自覚していることとして「自分の人生」を生きることに対するストイックさはあるかもしれません。信念を貫きたい、自分の軸に反することはしたくないというストイックさ。それはありますね。世の中、お金で買収されてしまう人がほとんどだと思いますが、「信念とかプライドとかないのかな?」と思ってしまいます。お金さえもらえれば自分の思っていないことをやる、言う、宣伝する、ということができる人の感覚がちょっと理解できません。世の中を牛耳っているような方は、ほとんどがお金に魂を売っているような方ばかりだと思います。そういう勢力への反骨精神がハンパない。まがったことが嫌いという、異常な正義感があるのでしょうね(さすがはてんびん座)。

他の方が言うように、「もっと自分を甘やか」した方が良いとすると、どういうふるまいをしていくことになるのか、というのが今の私にはよくわかりません。割と罪悪感を感じやすいタイプなので、「許し」がテーマということ?どんなにダメな自分でも許していこう、みたいな感じでしょうか。自分を大切に、自分を満たそう、というメッセージも耳タコなのですが、それも実践しているつもりでもまだ自分をないがしろにしている部分もあるのかもしれません。自分ではそうしているつもりでも、他の人に言われるということはまだどこか「気づく」余地があるということだと思うので、意識を向けてまた内観していこうと思います。

「自分を甘やかす」ことは、私にとってはある意味永遠のテーマなのかもしれません。好きなことや楽しいことをして、欲しいものを買って、おいしいものを食べて…という生活に対する抵抗が、もしかしたらあるのかもしれません。どこかで「世の中そんなに甘くない」とか「そんなに良い思いをしていいものだろうか」と思っている部分があったりするのでしょう。心の奥深くにある罪悪感やジャッジを手放し、他の人に「自分に厳しいよね」と言われなくなるくらいまで、自分なりに自分を甘やかしてみようと思います。

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