怠惰な人間とベーシック・インカム

前回の更新からだいぶ間が空いてしまいました。インプット量に対してアウトプットが全く追い付いていない状況で、このままnoteで更新していくのかも含めて情報発信の在り方を整理している状況です。さて、今回の話題ですが、前回の楽な方に、楽な方に流れるのが人間という記事の続きのような内容で、最近よく耳にするようになった「ベーシック・インカム」との関係について考えてみたいと思います。ベーシック・インカムについては過去に、現代における「有用性」至上主義の呪いという記事や、子育てに「ベーシック・インカム」の視点をという記事でもちらっと触れたことがあります。

巷で見かけるベーシック・インカム(以下BIと略す)論を見てみると、導入することによる様々なメリット、デメリットが挙げられていますが、デメリットとしてよく書かれているのが「人々が働かなくなる」という懸念です。いくらを配布するかにもよると思いますが、生活に必要なお金が何もしなくても手に入るとしたら、人々は働かなくなるのではないかという論はよく見かけますよね。私自身は「そんなことないんじゃないかな、むしろ本当にやりたいと思うことに打ち込める人が増えそう」と考えていたのですが、自分自身の日頃の怠惰っぷりや、楽な方に流れる人間の性を考慮すると、やはりその可能性は高いかもしれないな、と感じるようになりました。

そしてこれはとても「人による」ことなのだろうな、ということも考えました。おそらく、働かなくなる人や適当に働くようになる人が大半だと思いますが、中には生活の基盤があるからこそしっかり働こう、とか、世の中にできる限り奉仕しよう、と思う人もいると思います。現時点で後者のような人が大半である社会であれば、今の社会はこうなっていないはずです。今の日本は働きすぎの傾向が強いので、ブラック企業で奴隷のように働いて過労死するよりは、最低限のお金をもらってあとは怠惰に過ごす…という方がまだましなようにも思えなくはないですが、どちらも両極端で好ましいとは言えません。やはりここでも、制度というよりも人々の意識の問題が一番大きいんだなと感じました。

先に挙げた過去記事の中でも触れていますが、AIやロボットの技術が進んでいくと、人間がやらなくても良くなる仕事が増えていくことと思います。そうなってくると、どうしてもBI論は出てくるし、議論や検討を重ねる価値はとてもあると思っています。BIを導入するとしても、怠惰肯定論にはなりたくないなぁと思っていて、世の中のために奉仕したいとか役に立ちたいとか人々に喜んでもらいたいという気持ちは大事にしたいものだなぁと感じています。これは「労働」や「仕事」をどうとらえるかという問題にもつながっていて、現代(というか有史ずっと?)は、「労働」「仕事」=「苦痛」「苦行」のような式が成り立っているように思いますが、BIを検討することはそういった観念を転換できるチャンスのようにも見えます。

人間、本当にやりたいことや夢中になっていることであれば、怠惰になったり、手を抜いたりすることはない(減る)のではないかと思っています。念願叶ってプロのミュージシャンになった人が、ライブパフォーマンスでいかに手抜きをするかといったことを考えるでしょうか?労働環境が悪かったり、嫌々やるようなつまらないことだからこそ、怠惰な気持ちが生まれるということはあると思います。BI制度云々の議論も大事ですが、それよりも、人々が愛をもって喜びに満ちて「労働」「仕事」に取り組めるようにするためにはどうすればいいか、と考えていく方が正しいのかもしれません。今の社会の在り方がこのまま続くことを前提に考えるのではなく、BI導入を含めて、社会や働き方はどうあればいいのかということを全体的に考えなければ意味がないなと改めて感じました。

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