奨学金が「就職するための借金」になっている

1~2月は受験シーズンということもあり、教育に関する話題が多めです。例によって心の友とやりとりをしていて、「大学は(いい会社に)就職するために行くだけになっていて、奨学金は実質就職するための借金みたいなもんだよね」という話になりました。大学や教育といったものも資本主義の原理に取り込まれてお金!お金!となり、本来的ではなくなっているのではないかという考察をしていました。

人々が大して勉強する気もないのに借金してまで大学に行くのは、そうしないといい企業に就職できないから、という部分が大きいのではないでしょうか。ではなぜ、企業はそんなに大卒に、もっと言うと新卒にこだわるのでしょうか。企業が大学名や大卒であること、新卒であることを重視して採用活動を行っていく限り、知性の低い大学生や勉学に励まない大学生を量産する現状は変わらないと思います。なぜそうするかと企業に聞けば、「毎年そうだから」「他の企業もそうしているから」といった理由しか返ってこないのではないかと推測します。

大学の4年間はモラトリアム期間として必要、その時期に遊んでおけ、という人もいます。私にはそういう発想がないのでよくわからないのですが、それなら大学にすら入学せず、入学金やら授業料やらの大金で世の中を見てくるとか、徹底的に好きな文豪の文学を読み漁るとか、そういった時間とお金の使い方もあると思います。高校卒業して大学に行かずに、4年間モラトリアム期間を過ごしても良いのではないでしょうか。その間に本当に文学が好きだと思えば大学の文学部に行けばいいし、英語を学びたいと思えば外国語の専門学校に行ってもいいと思います。

日本では高校を卒業してすぐ大学に進学するのが一般的ですが、それもやっぱりおかしいなと思い始めました。大学は学歴を付与する機関であり、真面目に勉学に励む場所ではなくなってしまっているように見えます。勉強の中身という意味では、奨学金を借りてまで入学する価値のある大学というのはどのくらいあるのかわかりません。多くの場合、就職するための切符としての学歴が欲しいがためのお金です。そして晴れて企業に就職したら、借りたお金を返すために仕事に追われることになります。今の時代、そうそうホワイトな企業もありませんから、ある程度のブラック的な環境は我慢しなければいけません。そうなると、結果的にブラック企業に入るために多大な借金を背負うということになりかねません。心身を壊しても返済に追われる日々は続きます。

大学は勉学の場ではなく、金儲けのために存在しているような側面もあると思います。「大学講師」「教授」という肩書や雇用を確保するための場。入学するための塾や予備校という一大産業も生まれます。塾や予備校にかけるお金というのも、ゆくゆくはいい企業に就職するためのお金になると言えると思います。いい企業に就職するというのは経済的安定を意味し、男性であればいい女性をゲットできる確率が上がる、というメリットもあります。ということは、最終的には女性をゲットするためにいい大学に入ろうとしている、ということも言えそうです。

いつも以上にまとまりのない文章になってしまいました(笑)。進路を選ぶときに漠然と「大学に入らないと」と思い、漠然と奨学金を借りてしまう場合もあると思いますが、その漠然とした思いを紐解いてみると、いい企業に就職するためであったり、女性をゲットするためであったりという、勉学以外の目的が見えてきます。全員が全員そうではありませんし、私の言うことは極論も多いです。ただ、今の世の中は経済的安定や女性をゲットするために、学生時代に借金を背負わされるような社会であるということであり、何重もの意味で狂っていることは確かです。奨学金問題は単に学生とか大学云々の話ではなく、企業の採用活動にも問題があることを浮き彫りにしていると思います。「高校→大学→就職」というお決まりパターンそのものに疑問を持ってみることも大切だと感じました。

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