「なければ創ろう!」という柔軟さ

今日も実体験に基づき、気づいたことを書いてみたいと思います。私は某自然体験施設でアルバイトをしており、組織は嫌だとか言いながらも(笑)、楽しく働かせてもらっています。最近、そこで妊娠・出産され、産休に入られた方がいらっしゃるのですが、産後すぐにもかかわらず、たまに赤ちゃんを連れて事業のお手伝いに来てくれるんですね。かなりおとなしく情緒が落ち着いていて、みんなのアイドルになっています。

今日もその方が来てくださり、私も赤ちゃんとご対面。たまに笑ったりして本当にカワイイ^^お母さんが事業の対応をしている間は、他のスタッフの方が交代で様子を確認したりして、泣いちゃったり何かあればお母さんを呼んだりしてその場をこなすような感じ。赤ちゃんがかわいいこともあってか、だっこしているスタッフの方も別に嫌そうではなくむしろ嬉しそう。なんかほほえましい温かい雰囲気でしたね。

そして、私の上司がそこらの廃材で即席ベビーベッドをささっと作成!ものの数時間で立派なベビーベッドができ、赤ちゃんもそこでちょっと横になれる感じに。「ベビーベッドがないならそこら辺の木で創ろう。」そんな職場他に聞いたことがないのですがいかがでしょうか(笑)。私は結構カルチャーショック受けるくらいびっくりしましたけどね、なんかそこでは割と当たり前みたいな感じでした。

子育てベテランとはいえ、産後すぐのお母さんを職場に来させちゃダメなのでは?とも思うのですが、いざちょっと働こうとした時に見てくれる他のスタッフの方がいたり、ベビーベッドを作ってもらえるということは、お母さんにとっては心強いことなのかなぁと思いました。それよりなにより、「ないなら創っちゃおうか」という軽い感じと、実際に立派なものができたということに驚きを隠せませんでしたね。発想の転換。

もっと柔軟に考えれば、案外簡単に解決できることっていうのは、世の中多いのかもしれません。難しく考えすぎるから余計ごちゃごちゃ混乱して、明晰さを欠いてよくわからない行動をとってしまったりする。最初から「そんなの無理だろう」と思ってしまうことが多いけれど、意外とそうでもないのかもしれない。そんなことを感じました。

私もこの荒廃した社会のあれこれに日々絶望し、その中の一筋の光を見て希望を抱いてはまた「日本終わってるな」と思ったりというのを繰り返していますが、望み通りの仕事、望み通りの状況、望み通りの人生、望みどおりの社会についても、ただ現状を嘆くのではなく「ないなら創っちゃおうか」という軽いノリで、本当に「創造」していけばいいのかも、と思いました。「そんなの無理だろう」と思ったら本当に無理になる。できると思えばできるのかも、そんな気が少しずつしてきました。私がこうあればいいと思う、共同創造・循環型の新しい共同体についても、そのうち創れる、自然発生的に生まれてくる気がします。柔軟な発想と「ないなら創ろう」という軽いノリ。たった一台のベビーベッドに勇気と希望をもらえた一日でした。

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