心の琴線に触れる言葉たち

先週は大きく感情が揺さぶられることが多く、結構キツイ日が多かったのですが、その分意識の変容が加速していると思って前向きに受け止めています。私は特に涙もろいタイプで、瞑想しても泣きますし、思い込みに気づいて解放するときはだいたい涙で浄化することが多いです。私にとって、泣けるのは「来た!チャンス!」という状況で(笑)、潜在意識の深い部分にあった思い込みがドロドロと浮上してきて、だーっと泣いてすっきりするというのは、日常的なできごとです。

思い込みに気づいて泣くきっかけはいろいろありますが、「言葉」というのは大きい要素です。私が最近ぐっときて涙が出てきた言葉は、「あなたが本来の自分に生きて役割を発動させているのを待っている人が必ずいる」という言葉…。スピリチュアルなことを学んできた私にとってはそんなこと耳タコで、自分でも常日頃そう思ってはいたのですが、いざ他の人にそう言っていただいた時に、なんか胸に染みて、じわーっと泣けてきたんですね。潜在意識のどこかに「私はどうせ役に立たない人間だ、何もできない。」と思っている部分があったようで、やる前から諦めているようなところがありました。「誰もお前を待ってなんかいない、その他大勢として生きて終わり」という悪魔のささやきがまた襲ってきたのですが、その自己否定感を感じきることでだーっと思いっきり泣いて、最後には大きな希望を取り戻すことができました。潜在意識の奥のまた奥では、やっぱり自分を信じたいという気持ちもあって、否定→肯定→否定→肯定…と繰り返しながら、どんどん奥深くの気持ちに気づいていく感覚です。最終的には深い自己受容だけになるのですが、それまでは、自分の自己否定的な思い込みに気づいて、浄化するプロセスが一生続くのです。

結婚式で直面した「幸せ恐怖症」の記事でも、同じようなプロセスを踏んで浄化しています。昨日は「お前は幸せになる資格なんてない、愛される価値なんてないんだ」という悪魔のささやきがずっと襲ってきて辛かったです。それがあまりに深い自己否定感だったので、ひどく号泣してしまったということですね。自己否定感に襲われながら「もっと幸せになって良い、もっと愛されて良い」という言葉もリフレインしてきて、「本当はそう思いたかったんだなぁ」と感じてまた涙しました。この世はホント~~~に内面の投影です。私の意識をすべて投影した現実を体験しています。ですから、同じようなパターンが繰り返されたり、すごく嫌なこと、すごく嫌な感情が湧き起こったりすることというのは、実はめちゃくちゃチャンスで、そこに必ず何か解放すべき思いこみがあるということです。それは自分の幸せにはつながらない思い込みなはずです。神でも宇宙でもなんでもいいですが、「その思いこみはあなたのためにならないから、気づいて解放してね!」と言ってくれる愛のある存在がいて、不都合にも思える現実をあえて見せてくれているのだということです。

最近は、何か怒りを感じたり、落ち込んだりした時に「どんな思い込みや思考パターンに反応しているのだろう?」と内観して気づくスピードが速くなってきたように思います。もちろん、大好きなフラワーエッセンスたちもそのスピードを加速させてくれているように思いますし、私自身もそれに気づこうという意識でいるので余計そう感じるのかもしれません。あとは、その言葉を聞くとぐっとくるとか、なんか泣ける…という言葉を見逃さず、「その言葉にぐっとくるのはどうしてだろう?どんな思い込みがあるのだろう?」と気づいていこうという意識づけも大切だと思います。その時々によってぐっとくる言葉は違うと思いますが、心の琴線に触れる言葉は、その時に必要だからこそ見聞きするということもあります。外の世界に振り回されていると、ついつい自分の人生を生きることを諦める思考パターンに陥ることもありますが、心の奥深いところではもっと自分を信じたいと必ず思っています。そのことに気づくきっかけとなる「心の琴線に触れる言葉たち」を見逃さないよう意識して生きていこうと感じました。

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