星野源に学ぶ「マルチタスク」という生き方

別に源ちゃんを釣りにして…とか思っていないのですが、いつも音楽を流しているもので潜在意識にしみわたっているらしく、書きたいこととリンクしてくるのですよね。

我らが星野源さんは、歌手であり、俳優であり、ミュージシャン(演奏家)であり、文筆家であり、コントもやり、本当に多彩な方です。彼を知ったきっかけも人それぞれではないでしょうか。言い換えれば、彼を表す職業はない=無限にあるということだと思うのですよね。今後「ヘタクソ」な絵の画集とかも出せそうだし。そして、彼は彼自身なのであって、職業に縛られない生き方=マルチタスク的な生き方だと言えると思います。多くの人々をひきつける彼の魅力の一つに、「職業に縛られず好きなこと全部やる(で、全部人気)」という私たちがやれていないけど彼がやれていること、本当は自分もそう生きられたらなぁ、という思いがあるのではないかと思ったりもします。

私たちは仕事というとき「職業」ベースで考えてしまうことが多いのではないでしょうか。セラピストになろうか、カウンセラーになろうか、講師になろうか、コラムニストになろうか、アーティストになろうか…私はどの職業に就こうかな?なろうかな?というふうに考えることが多い気がします。

「安定」の概念の変化により、一つの職業や会社に縛られる生き方というのはかえって不安定であり、創造性に欠けるなぁということを思うようになりました。職業なんて人の決めた境界であって、本来人間は人間以外のなにものではなく、職業で定義されるものではないと思うのです。「私は●●(職業)です」と宣言した瞬間に他の可能性が消えるというか、こう、かっちり定義しなくてもいいと思っています。

いろんな方面で才能のある人はいて、正社員フルタイムで働いているけど実はすごく絵がうまい、写真がうまい人とかはたくさんいると思うし、それを「趣味だから」と世に出さないのは世の中的にももったいないことだとも思うんですよね。それを阻むのが「単一職業」という概念であり、「副業禁止規定」という奴隷制度だと思うのです。

「これは趣味だから…」と思っていても、もしそれが少しでも売れたり、人々の目に触れて喜ばれたら、とても嬉しいことだと思います。特にアート系はそれで食べていくとなると重荷やプレッシャーにもなるものですが、もっとゆるく副業程度でも収入になれば生きる喜びも増すものだと思うのですが。それもあって副業禁止という世間の風習は人々の創造性を奪うなぁと辟易します。

何はともあれ、あんまり「職業」で自分をかっちり定義しない方が良いかな、と思っています。そして、今やりたいことがないなぁ、と思っている方も、職業ベースではなく、やりたいこと、思いベースで考えられた方が、結果うまくいくと思います。写真も、デザインも興味ある、農業もやりたい、カフェもやりたい…ならば、欲張って全部やってみて、マルチタスク的に生きてもいいと思うのです。

でも、私には無理…、そう思われるでしょうか?大丈夫、世の中には星野源という、やりたいこと全部やって全部売れている人がいます。源ちゃんも同じ人間です。人間に、やってやれないことは何もないと、そう思っています。

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