内面を見つめるのってそんなに恐い?

現代日本は西欧文明社会の影響を強く受けているため、唯物論的、男性的、肉体的、機械的、カネカネモノモノ…という感じで、精神面を非常に軽視している社会だなと感じます。それは多くの方が感じていらっしゃると思いますし、行き過ぎた唯物論・男性性を是正するため、(自然な流れで)スピリチュアル的な思想や女性性・一元論的なものの見方が復活の兆しを見せたりと、少しずつ意識面での変化も起きているようです。物質面に偏りすぎても精神面に偏りすぎてもバランスが悪く、ちょうど良い頃合いを保つのがなかなか至難の業だなと感じます。

物質面に偏り過ぎた私たちはあまり内面を見つめ直すということをせず、何か問題があってもすぐに他人のせい、環境のせい、社会のせいにして、自分の内側の問題に目を向けないものです。そうするとまた同じような問題が起こり…根本原因を見つめない限りその繰り返しです。女性は美しくなりたいと言って外面を磨くこと(エステ、化粧)、ダイエットなどに精を出すものですが、あまり自分の内面を見つめ直そうする人はいないように思います。世にある商品・サービスは、内面を見つめ直す大切さから目を背けさせ、外側のコンプレックスを改善させることを謳い、それを商売としています。外側をいくら磨いても、内面が美しくきれいでなければ、わかる人にはわかってしまいます。ただ、わかる人は相対的に少なく外面に騙される人が多いので、外側だけを磨くことが無意味なわけではないという現実もあると思います。

働く必要がなくなったら困る「仕事人間」という記事にも、仕事を隠れ蓑にして大切なものから目を背けている人が多いのでは?という話を書きました。仕事に忙殺されていれば、自分の内側や家族との関係などに目を向けなくて済みます。私の場合は精神的な問題がすぐに体調に現れてしまう(緊張感やお腹の不調)ので、その問題を解決するために内面と向き合わざるを得なくなり、2013年くらいから潜在意識やスピ系の本などを読み始め、2014年に本格的に不調になる頃から内面の探求への旅が始まりました。以前からnoteをお読みいただいている方はご存知と思いますが、このnote自体が内面を見つめ直してきた記録のようなものであり、その時々に心から感じたこと・思ったことを書いています。なんでもかんでも外の世界のせいにするのは非常に愚かな行為で、外の世界は内面の投影であるということを一人一人が本気で腑に落とすことでしか、自分自身も、世の中も変わっていかないのではないかなと思っています。

外の世界のせいにして生きていくのはその時は確かに楽なのですが、その苦しみのパターンがその先もずっと続いていってしまうことを考えると、問題が生じたその時々にエゴの抵抗に耐えながら自分を見つめてクリアにしていった方が、ゆくゆくは楽だと思うんですよね。内面を見つめることをなぜしないかというと、そのやり方がわからないということもあるでしょうが、やはり「恐怖」というのが一番だろうし、自分の根底にある(愛とは対極の)自己否定的な思い込みのパターンに気づくことを恐れているのだと思います。そして(しつこいようですが)その思いこみの一番の根底にあるものは、大抵妊娠中から生後1年くらいに作られたものです。深い部分の思いこみは、少しずつ表面的な傷を癒していった後にようやくどーん!と登場するもので、最初はその存在に気づくことすらないことがほとんどだと思います。

私自身も、以前よりは心の平安を保って生きられるようになったなと感じるようになりましたが、それでも感情が揺さぶられることは多々あります。そんなときは、どんな思いこみがあるから感情が動いたんだろう?と内面を見つめ直すようにしていて、そうすると大抵、自分を幸せから遠ざけるようなパターンに気づけたりします。「そういえば前にも同じようなことがあった」と思うことも多く、やはりこれは自分自身のパターンなんだなと納得します。外の世界を平和にするためには自分の内面を平和にするしかなく、そのためには自分の内面を見つめ直していくことが一番重要だと思います。外面を磨くことも、仕事に忙殺されることも、悪いことではないと思いますが、本当に大切なことは何なのか、胸に手を当てて思いを馳せる時間があっても良いのかもしれません。

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