軽視されすぎな「家庭科」「保健体育」

「もうセンター試験か、そろそろ受験か」と高校生の頃の勉強状況を思い返してみて、いくつか気づいたことがありました。高校の授業で今でもやたら印象に残っている授業は、家庭科と保健体育であったということです(笑)。私の高校は進学校でしたが特に受験対策もなく、文理問わずすべての教科を履修していました。あらゆる教科の授業があった中でも、主要科目以外の家庭科と保健体育の授業は強く記憶に残っています。

家庭科で記憶に残っているのが、ジェンダーの単元で、「男子から女子に聞いてみたいこと、女子から男子に聞いてみたいこと」といった質問事項を集め、選ばれた質問に対する答えをそれぞれ書き、回答を集めて割り当てられた一人一問をグラフや図などで自由にまとめるという内容でした。私は「女にはわからないだろうなと思うのはどんな時?(確か)」といった質問の回答をまとめました。「急所の痛み」「ハゲへの不安」といった面白回答が並び、まとめるのも楽しかったです(笑)。他にも「結婚したら相手の女性には仕事を辞めてほしいですか?」(女→男)、「生理はつらいですか?」(男→女)といったような質問が男女合計40個くらい(クラスの人数)ありました。この授業は本当に面白かったので印象に残っています。

保健体育(座学)ではグループであるテーマを調べて発表するような授業がありました。私達のグループは「避妊・中絶」といったテーマを選び、中でも私は中絶について調べる係になりました。その際に図書館に行って中絶について書かれた本を読み、中絶手術というのは「おろせばいい」などと簡単に言うけれど本当に大変なことであるということを知り、「絶対に中絶はするまい」と思ったのをよく覚えています。まだ若かった女性の先生が、(授業のために)女性用の避妊具を恥ずかしながら買ったと言っていたことも思い出しました(笑)。ちなみにこの授業は男女混合だったと思います。

このエピソードとは少し離れますが、私は「食育」や「栄養学」のような授業がもっとあってもいいのではないかと感じていて、食べ物についてはよ~く学校で教える必要があるのではないかと思うんですよね。それに付随して基本的な解剖生理学もしっかり教えた方がいいと思っています。生物で人体については習いますが、自分自身の健康管理に結び付けた方がより身をもって学べるのではないでしょうか。食べ物を貧困や飢えの問題に関連させれば現代社会のことも学べます。ただただ暗記するよりも、実感できることや身近な事例で考えさせるような教育の方がより楽しいし、その人の生き方や世界観にも良い影響を与えられそうな気がします。

以前から改革すべしと訴えている「性教育」、現行では保健体育の領域になりますが、これも生きる上で非常に重要なことだと思います。多くの家庭や夫婦において、パートナーシップがうまく築けなくなってしまう大きな原因の一つに性の問題があると思いますが、誰しもが興味のあることなのにタブー視され、アングラな(という言い方が良いかどうか)情報を求めるしかない状況にあるというのが現状ではないでしょうか。とはいえ、性については大人もよくわかっていないことであり、誰も教えられる人がいないという問題もあります。性教育を考え直すうえでも、まずは大人こそ性の問題を直視し、しっかり向き合っていく必要があるのではないかなと感じます。

受験のために主要五科目ばかり一生懸命勉強させられている私達ですが、軽視されがちな五科目以外の科目も、実は生きていく上では非常に重要なのではないかと思います。そういった狙いで「総合的な学習の時間」が設けられたのではないかと思うのですが、これは本当に教える側の力量が問われるのでしょうね。教える側が型にはまった勉強しかしてこなかった人たちであれば、それ以上の深いことを教えられるはずがないですからね。そういったことももろもろ含めて、主要五科目の試験の成績だけを異常に重視する現行教育には疑問を感じざるを得ないのでした。

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