「育ててやった」 親の発言に疑問

前回に引き続き、心の友との会話の中で印象的だった話題やテーマをまとめていきたいと思います。心の友とはかなり込み入った深い話をすることが多いのですが、やはりいつも話題になるのは親子関係のことです。私も友人も、親が頭が固いコントロールしたがる親のタイプに当てはまる部分が多く、親の価値観を子どもに押し付ける傾向があるなぁと感じています。私が先日読んで面白かった、『毒になる親 一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード著)という本を紹介したところ、一瞬で読破したようで、その感想も教えてくれました。

この本はかなりいい本で、私のnoteを気に入って読んでくださっている方には非常に役に立つ内容が盛りだくさんだと思いますので、是非読んでみてください。いわゆる「毒親」のタイプをかなり具体的に細かく説明してくれている本で、傷やトラウマからの立ち直り方も書いてあり、毒親に育てられた方には必読の内容となっています。この本を読んで私も友人も印象に残ったことは「親は絶対に変わることはない」という事実でした。こちらが働きかけても親がまともな人間になることはないし、「最終的には自分を認め愛してくれる」といった夢みたいなことは起こらないのだという事実とまず向き合うということ。もちろん例外はあると思いますが、「自分を愛してくれなかった親を改心させる」的なアプローチはまるで無駄だということをはっきり言ってくれます。ひたすらに子どもの味方をしてくれるような本なので、毒親に苦しんでいる方が読むと癒される部分もあるかもしれません。

私も友人も似たようなタイプの毒親に育てられているため、気が合う部分があるのだと思います(笑)。「親子って何だろう?血縁関係ってそんなに大事なのかな?」という話題にもなりましたし、「その子の人生にとって一番有害なのは実は親だよね」という話でも盛り上がりました。これももちろん例外はあるし、まともな親も中にはいると思いますが、多くの場合はこれが当てはまるように思います。この日友人が言っていたことで私がとても共感したのが、親に「誰が育ててやったと思ってるんだ」的な恩着せがましいことを言われたことに対する疑問でした。そう言われると、売り言葉に買い言葉で「育ててと言った覚えはない」と言いたくもなりますよね。

このことについて友人と「子どもを産むということは育てる義務を負うということなのだから、責任を持って育てるのは当たり前じゃないの?」という話をしていました。子どもについては、避妊することもできるし(好ましくないとはいえ)中絶することもできるわけで、産むかどうかは事前に選択できるはずです。産むという決断をしたのだから、どうしてもやむを得ない場合を除いて、親には子を責任を持って育てる義務があると思います(法律上もそうか)。「育ててやった」だなんて、どの口が言うんだよ、と私は思ってしまいました。なんて傲慢なんだろうと思いますし、そんなことを言われた子どもの身にもなってほしいです。

友人とは「やっぱりこんな毒親は一生このままで変わらないから、さっさと離れるしかないね」と言い、前回の格差社会と賃料高すぎ問題の記事のように、地方は家賃も安そうだし親から離れられるしいいかもね、と話していたのです。自分を見つめ直していくと、自分が親の価値観や考えにいかに染まっていたかということがよくわかるし、そのおかしさ、異常さにも気づくことができます。やはり小さいころから親に洗脳されているとそれが当たり前になってしまい、なかなか自分の人生を踏み出すことができません。親から精神的に自立するというのはすべての人にとって大きな人生のテーマだと思います。この日は私たちにとって、話にならない親を変えようとするのではなく、自分が幸せに生きることにエネルギーを注ぐことに決めた、決意の夜になりました。

オフ会リクエスト募集中~→オフ会・イベント情報
note過去記事一覧はこちら
ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら
「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook
Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?