「需要と供給」論ともっと大事な倫理観

私は経済についてはまるっきり素人ですが、「需要と供給」について思うことがあったので書きたいと思います。経済至上主義に傾きすぎな現代において、モノやサービス等を売ること、利益を出すことが最優先という思想が蔓延していて、「需要と供給」が一致していれば何でもアリだ、それが資本主義だ、的な考えを耳にすることもあります。私はいくら「需要と供給」が一致していてもダメなもんはダメでしょうと声を大にして言いたいと思います。

たとえば、偽ブランド品問題などが良い例かと思います。偽物でもいいからそれっぽいブランド物を安く買いたいという消費者がいて、その需要に対して偽物を作って売る業者がいて、そこでは偽物であるという消費者の了解のもと(偽って売る場合もあるけれど)売買が行われています。また、私のような音楽好きが頭を悩ませているチケット転売問題も似たような事例かと思います。チケットにはずれた人の、定価より高くてもライブに行きたいという需要に対して、転売目的で大量に入手したチケットを高く売る人がいて、これも需要と供給が一致しているため売買が行われています。その他、お金が欲しい女子高生と、女子高生と寝たい男性の間には援助交際が行われますし、安くうなぎを食べたい消費者向けに中国産を国産と偽って安く売る業者もいます。いずれも「需要と供給」の観点から言えば一致していると思います。

労働市場においても似たようなことが言えて、ある仕事に対して時給980円で募集をかけたところ、誰も集まらず人手不足に陥ってしまったとしたら、経営者は時給を上げざるを得ません。低賃金でも働いてしまう人がいるから、いつまでも経営者は「安い時給でもいいだろう」ということで、その状況に甘んじてしまうのだと思います。会社は働く人がいなければつぶれてしまうのだから、私自身はそんなひどい待遇のところでは働かないのが一番だと思っていますが、中にはそういった仕事でもしないと生きていけないという人もいて、なかなか解決が難しいことなのかなと思ったりもしています。私は現場で働くパートやアルバイトなどの賃金は不当に安すぎると思っているので、「時給980円でも働く人がいるということは、ある意味需要と供給が一致しているから妥当な時給だ」という論には異を唱えたいところです。

いくら需要と供給が一致していたとしても、やっぱり倫理的にダメなものはダメですし、商売は成り立つんだからバレなければいいというものではないと思っています。ニーズがあるし商売になるからいいんだという思想は、資本主義社会においては一見正しそうに見えますが、人間として一番大事な道徳や倫理観が欠如していて、あまりにもこの世の限られた物理的次元での損得にとらわれすぎのように見えます。確かに、この物理的次元では一見得したように見える時もあるかもしれませんが、この宇宙には「因果の法則」があるので、ばれようがばれなかろうが、自分がしたことに対する報いというのは必ず返ってきてしまいます。その辺りのことまで考えが及ばずに、今儲かればいいのだということでモラルに反した商売をしてしまうというのは、実に愚かな行いだと思います。

私自身は正直に生きた方が気持ちよく生きられるし、この世の物理的な利益を得る以上に内面を清らかに保って生きる方が結局は幸せに生きられると思っているのでそういったことをしようとは思いませんが、いったんビジネス的思想、利益第一主義に洗脳されてしまうと、どうしてもグレーゾーンなことに手を染めてしまうことになるのかもしれません。しかし、やはり悪いことというのは長くは続かないもので、組織ぐるみで行っていれば、良心の呵責に耐えきれずに内部告発をする人も出てくるだろうし、立ち入り調査や通報で明るみになることも多々あります。低賃金で人間をこき使っていれば、そのうち人材不足に苦しむことになるでしょう。最初からグレーゾーンな商売には近づかず、高い倫理観を持って正直に生きるのが賢明な生き方だと思います。

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