本音を押し殺してまでやる仕事ってある?

私が公務員を辞めた理由の一つに、今私がやっていることは本質的に市民のためにはならない、むしろ改悪ですらある、ということに気づき、本音で良いと思っていないことを他人には勧められないし、割り切って働くことなんてできない、というものがありました。これ、同じことで悩んでいる組織労働者の方は多い、というか8割くらいはこんな気持ちで働いているのではないかなと思います。良いと思っていない商品を売らないといけないとか、法律的にグレーすれすれの業務をしているとか、いろいろあるでしょう。本音ではこんな仕事なくていいし無駄だし何の解決にもならないとわかっているのに、上からの指示とか生活のためとか色んな理由やしがらみがあってそうせざるをえないという状況なのだと思います。

個人的には「仕事とはそういうもんだから割り切ってやるもんだ」というのは、支配層側からの都合の良い「常識」という形での洗脳であり、本質から目を背けさせるためのワナに過ぎないと思います。人間は自らの魂を創造的に自己表現することに喜びを感じるし、そのために生まれてきたと言っても過言ではないと思っています。決して「本音ではやらない方が良いと思っていること」をやるために生まれてきたわけではないんです。そういうことを無理してやっているからうつ病になったり、体調不良になったりするんですね。

私はそういう風に割り切れる人を見ると、「よく割り切れるな」と本気で思います。今の会社や公務員も含めた大きな組織では、「割り切ったもん勝ち」「盲目になったもん勝ち」「傍若無人なもん勝ち」みたいなところがあり、私のように割り切れなくて組織を去る人はそれなりに大変な人生になることが多いかもしれません。まぁそれでも悲観的にはとらえてなくて、本質的には「割り切れないタイプ」の人が、無理して割り切って働いていると絶対にどこか支障をきたすので、早々と見切って人生の方向転換ができたのは幸いだったし良い決断だったと本気で思っています。割り切れなくて公務員を辞める人は少数派かもしれませんが、民間企業だと同じように割り切れなくて辞める人が多数いらっしゃるようなので、やっぱりこれも井の中の蛙だったのかなと思います。無理なもんはどうやっても無理なんですよね。

今の私は本音で生きられないことが何よりも苦痛で、「おかしい」と思ったことに対して絶対に加担したくないし、それに貴重な時間と労力を割くなんて耐えられないです。人々はやたらとお金の無駄遣いには気を遣いますが、「時間」「労力」の無駄遣いには気が回らないのでしょうか。「本音で生きられていない時間」というのは私にとっては「魂の死」を意味しています(誰にとってもそうですが)。自分の信念に反することをするって、かなりの苦しみを伴うのですがいかがでしょうか。エネルギーレベルで不調になったら、100%肉体レベルでも不調になることをわかっているので、病気を未然に防ぐ意味でもやっぱり「魂の死」の時間は極力短くしたいところです。

それでも世の中多くの人が「そうは言っても本音では生きられないよ」と思っていながら同じような日々の繰り返しに甘んじていることを知っていますが、これからは本当にそんなことは言っていられない時代になると思います。この世の中に本音を押し殺してまでやる仕事なんてないのです。私もそうだったからその気持ちが痛いほどわかりますが、本質的なものの見方ができる人ほど組織を去り、報われない思いをしている社会なんて根本的におかしいんです。そういう人こそこの荒廃した社会に必要不可欠だし、その純粋な思いや能力をこの世に存分に発揮していただかなければならないんです。

なんか思いが高ぶってしまいましたが(笑)、とにかく、もったいないんです。素晴らしい人々の能力とか思いとかそういうものが世に埋もれてしまって、この社会に表現されないのは宇宙レベルの損失なんです。全体的にみんな自分の能力を過小評価しすぎだし、自分の素晴らしさを自覚していないんです。私は私の周りの素晴らしい人と接するたびに、「こんな素晴らしい人が組織に潰され埋もれているなんて!!」と思ってしまいます。もういい加減、本音を押し殺して組織の言いなりの奴隷として働くのはやめませんか??今こそ一人一人が自分の本音、信念に沿った人生を歩み始める時期だと強く思っています。

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