「どん底」を見る必要性

私自身、現在はとてもニュートラルというか、人生の絶頂期というわけでもなければどん底でもないという日々を過ごしていると感じていて、あまり大きな波風はない時期です。もともとそんなに大きなアップダウンがある人生ではなかったので、めちゃくちゃ良い時期も悪い時期もなかったのですが、ずっと調子が良いということも、ずっとどん底と言うこともあり得ず、どんな状態であれ、それでバランスが取れ調和しているのだなと実感します。

しいて言えば私の人生の底は人生の底時代「就活」の深すぎる闇の頃だったでしょうか(底時代って書いてますし)。あの頃は自殺こそしないけれども、私なんて社会に必要とされてないんだなーという絶望感や、ひどい自己否定感に苛まれていましたね。精神的にかなり追い込まれていた記憶があります。底は底でしたけど、幸いお金に困っていたわけでも、家庭問題があったわけでもなかったので、なんとか生きてこられたという感じです。あの状況で金銭トラブルとか親と絶縁とかそういうことが起きていたら壮絶な人生になっていたかもしれません。

大学4年間は長いスパンでの底だったなと思いますが、その後また闇にもぐった時期は2014年から2015年にかけての休職・体調不良~退職にかけてでしょうね。とにかく体調が悪いという身体のキツさがありましたし、それに伴う不安感が強くて、まさに心身ともに限界という感じでした。別に何が、という特定の事象があったわけではないのですが、毎日キツかったですね。あの頃は人生の底だなぁと思いながら過ごしていたし、「陰極まれば陽になる」を励みに、ひたすら底を見ようと思っていました。精神的にすごく不安定だった記憶があります。今は時に絶望感を味わうことはあっても、その感覚と距離を置けるようになったので、下手に飲み込まれることはなくなりましたね。

この世のすべては二元性で成り立っているので、良い時もあれば悪い時もあるのは当たり前で、それをいちいちジャッジするのはナンセンス。大きな流れの中で今はこういう時期なんだなーくらいに思っていれば楽ですよね。今活躍している人、大きな愛にあふれている人というのは、大なり小なり、何かとてつもない経験をして、それを乗り越えた方だと思います。別にあえて苦行をしていく必要はないと思うのですが、苦しい時期に遭遇してこなかった方はいないでしょう。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」じゃないですけど、今の私は過去の就活の苦労も休職していた時の苦しみも、気づいたら忘れていますし、そんな時もあったっけ、くらいなものです。当時はめちゃくちゃ苦しかったんですけどね。過去にとらわれていても苦しいですからね。なんというか、人生そんなもんですよ。

おそらくその「どん底」とか苦しい時期って、自分らしく生きられていない時なんじゃないかな、と思ったりもします。本来の自分の輝きを失っているときは、体調不良や精神不安定に陥りやすいでしょう。だから本当にもう今までのことが続けられないとか、この人とはやっていけないとか、そういう状況に陥ったときは、本来の自分を取り戻すチャンスでしかなく、超ラッキーな指標だとすら思います。今日9月9日からいよいよ木星が天秤座入りするそうで、無理な人間関係を続けること、自分らしくいられないコミュニティは淘汰されていく流れになるでしょうね。それをあぁだこうだ思わず、ただ流れに身を任せていくのが良さそうです。

どん底に陥っただけ、その後感じられる愛や光も大きくなるということ。大きな光を味わうためには、深い闇も知っておく必要がある。私が今まで陰謀論的なこの世の闇に興味を持って調べていたのも、闇を知らずして光だけにフォーカスすることはできないと体感的にわかっていたからだと思います。人生の底時代を、自分や社会全体の闇を、見つめて受け入れることで、今まで以上の愛、光、豊かさといったものを受け取れるようになるのだなと感じました。

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