他人に対して思うことは自分に思うこと

「他人は鏡」とか「外の世界は内側の世界の投影」とか、このnoteでもその他のサイトや本などでもよく書かれていることと思います。文字通り受け取ろうとすると、「鏡なわけないじゃん」とか「内側の世界の投影って意味不明」と思ってしまうこともあるかもしれませんが、実体験から言ってもこれはどう考えてもその通りだなと思わざるを得ません。そういう風に意識して世の中を眺めてみると、どうもそうとしか思えないよなぁ…と感じることばかりです。他人を責めて自分を振り返らないという態度がいかに愚かかということを思い知ります。

「他人は鏡」と言われてもイマイチよくわからないかもしれないので、自分で経験したことのある具体例を書いてみようと思います。身近な人でも友人でも誰でもいいのですが、誰かその人の特徴、性質などがすごく気になってしまうことはありますよね。嫌だなと思うところも、好ましく感じるところも、共感するところも、いろいろあると思いますが、その感じた感覚というのは必ず自分に対しても当てはまっているものです。「あの人ケチだな」「あの人親切で素敵だな」「あの人の一生懸命なところすごく好きだな」「あの人本当は寂しいんだろうな」…日々他人に対していろいろ感じるところはあると思いますが、中でも強く気になってしまうこと(好感でも違和感でも)はやはり自分もその通りだったりするんですよね。このことに気づくと人間関係への捉え方も変わりますし、自分を見つめる作業もより進んでいくと思います。

先日も友人と話していて、友人が他人に対して「あの人は○○と感じる」と言ったので、「自分はどう?自分自身も○○だと感じる?」と聞いたら、しばし黙り込んで、「自分も○○だわ」と言っていました(笑)。そして、自分が○○であると感じるエピソードを話し始め、内面を見つめていくことができました。特に、身のまわりの親しい人に対して感じることは、その傾向がより色濃く反映されているように思います。「すごく嫌!」と感じるものほど、自分にも同様の性質があったりするので、より強く感じるものから取り組んでいくと良いと思います。同じAさんという人に対して、人によって印象が異なったりすることは多々ありますよね。結局それは、みんな自分の何かをAさんという人に投影しているということなんだろうなと思います。嫌な面もそうですが、すごく好ましいと感じる他人の性質についても、気づいていないだけで自分にもある特徴だったりします。何らかの形で自分と共鳴するからこそ、感じることがあるのだと思います。

他人に対して思う嫌な性質が自分にあると認めるのはものすごく苦痛を伴うことで、「自分はそうではない」と思いたくなることが多いと思います。私も幾度となく「自分もそうであると認めたくない」と思って苦しんできました(笑)。しかし最近はストイックに内面を見つめるのが趣味みたいになってきているので、他人に対して嫌だなと思う性質を見つけると、「自分が変われるチャンスだ!」くらいに思って、前向きに楽しんでいます(笑)。そうやって内面を見つめていくうちに、不思議とその相手に対して嫌だなと思う性質が気にならなくなってきたりします。相手は自分の投影であると気づくと、相手を責める気持ちにならなくなりますし、不要ないさかいを防ぐこともできると思います。とはいえ、すべて内向してしまうと苦しいしそれはそれでコミュニケーション不全なので、言いたいことは言っていった方が良いんですけどね。「他人に対して思うことは自分に対して思うことだ」ということを頭に入れて置くと、より自分を深く知ることの助けになるのではないかなと思います。

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