人生の目的は「稼げるようになること」ではないよね

こうも社会が荒廃してくると、私のように「なぜこんなことになっているんだろう?この社会、根本的になんかおかしい」と疑問に思う人がたくさん出てきます。そうすると必ず行き当たるのが「人生の目的とは?」「何のために生きているんだろう?」という疑問です。

そういう根本的な疑問が出てくるようになると、人々は多くの「気づき」を得るようになります。哲学や精神世界に興味を持つ人も増えていき、自分の内面を見つめなおす必要性に気づいていきます。昨今のヨガブームや瞑想の一般化など、そういった動きは日々普通に生活していても感じている方が多いことでしょう。

人生の目的は「稼げるようになること」ではないと思います。もちろん、生活するのにお金は必要ですし、私自身もお金大好きです。ただ「稼げるようになるために●●する」、「稼げるようになるためにはどうすれば良いか?」という発想は捨てました。

現代の資本主義経済、ピラミッド組織社会においては、お金崇拝、お金信仰が広く根深くはびこっているため、様々な評価軸がお金であり「稼げる人はすごい、そうなりたい」、「少しでも安く買いたい、損をしたくない」という思いに常にかられます。人々はお金の奴隷となってピラミッド階級の下層部で盲目的に働いています。

ここは発想の転換をする時です。本当は逆なんですね。

「稼げるようになるために●●する」のではなく、自分の内側を見つめてクリアにしていったときに、これがしたいと情熱を傾けられる、楽しんでできること。それを突き詰めて楽しんで生きていた先に、「経済的、精神的豊かさ」があるということです。人生の諸先輩方がおっしゃるのを、はじめは半信半疑だったけれど、今はこの法則はその通りであると確信しています。私も今その過程を楽しんでいるところです。

そもそも、人生に目的なんてあるのでしょうか?

またまた星野源の話題で恐縮ですが(笑)、『桜の森』という曲をふと聞いていて、歌詞から気づきを得ました。以下、一部引用。サビです。

「僕はただ見てる それをただ見つめてる」

また、『ある車掌』という曲にもこんな歌詞があります。一部引用。サビです。

「ただ流れる 窓の外を 観るだけの お仕事です」

そう。確かに人生なんて、「ただ見てる」だけなんです。過ぎていく景色を、次々に起きる出来事を、人との出会いも別れも…「ただ見てる」だけ。もっと言うと、虫や鳥や他の動物と同じように、「ただ生きているだけ」とも言えると思います。社会全体が「人生の目的症候群化」してくると同時に、その先には「ただ生きているだけ」という達観があると思うのですよね。やっぱり彼はすべてを悟っています。彼の物事の本質をとらえた歌詞に多くの人が共鳴しているのでしょうね。

少し脱線しましたが、「なんでこんなつらい思いしてまで働いているんだろう?」「何のために生きてるんだろう?」など、自分の人生について疑問に思うことはとても大切だと思います。そこが人生の大きな転換期となる可能性があるからです。「人生の目的とは?そもそも人生の目的なんてあるのか?」私も記事を書きながら、もう一度心静かに瞑想し、内面を見つめなおす時間をとってみようと改めて思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?