恋愛にも投影される自らの男性性・女性性

昨日の「闇」を統合し、さらにピュアな自分への続きのような記事になります。昨日の記事では、自分の中の男性性に象徴される「攻撃性」や「暴力性」を見ないようにしていて、これまでずっと闇に追いやっていたことに気づいて統合したという話を書きました。これはなんとなくわかりやすい話で、自分が攻撃的で暴力的だとは思いたくない人は結構多いと思うし、どなたも否定しがちな側面かなと思います。(私のように)おとなしくて荒々しい感じが表に出ないような人でも、必ず攻撃的な一面はあるし、あって当たり前のものなので本来抑圧する必要はありません。私たちにはそういった無意識的に抑圧している側面が無数にあるんですよね。

ワークショップの中でもう一つ気づいたことがあります。それは、私は女性性に象徴される「美しさ」や「繊細さ」「可憐さ」といったものも「闇」に追いやっていたということでした。先ほどの男性性の攻撃性や暴力性に比べて、なんというかポジティブな面というか、思わず「素敵~」と思ってしまうような女性像だったのですが、自分にそんなものはないと、否定していたような感覚を得ました。男性性と女性性に関するワークをしていた時に、この両者(攻撃的な男性像といかにも美しい女性像)が浮かんできて、それはどういうことかと思えば両方とも自分が抑圧していた側面だったことに気づいたんですね。なんというか、女性の美しさや繊細さ、可憐さといったものは、男性の攻撃性や暴力性によって虐げられる、貶められる、傷つけられる、といった自分の中での思い込みがあったようなのです。あんまり女性性を出すと、男性に傷つけられる、だから出さない。そんなパターンを持っていたようでした。

以前から書いているように、私は外見へのコンプレックスがかなり強い方だという自覚があり、かわいらしい人、美人、イケメン…そういった人を羨ましがる傾向は常にあります。まぁこの思い込みもかなり多くの方が持っていると思うので特別珍しいことではありませんね。服装もあまりガーリーな服は着ないし、ボーイッシュな格好も好きです。美容にもあまり興味がないし、美に対する執着心もありません。「美しさ」に関する抵抗や葛藤が自分の中にあることは感じていましたが、その理由が「男性に傷つけられそうだから」というものだったとは、そうかなと思うことはありましたがやはりそうだったんだなと、これまた腑に落としましたね。

自分の中の男性性や女性性に対する思い込みって、誰しも何らか持っているはずですし、なかなか意識化しづらいものだと思います。男性性・女性性への価値観がより濃く表れるのはやはり恋愛かと思います。自分の好みの女性像・男性像、反対に嫌悪感を抱く女性像・男性像を紐解いてみると、自分の中の思い込みに気づけると思います。私の場合は、屈強ムキムキ色黒系の男性は苦手意識があり、白くて細くて優しくて弱そうな男性を好む傾向がありました。好きになる男性の中に、自分が抑圧していた女性性像を見ていたのかなと思います。美しくて繊細で可憐な男性がいたら、すぐに恋に落ちたことでしょう(笑)。結局その相手の側面と、心も身体も「統合」したいということなのだろうなと思います。

最終的には、自分の中の男性性と女性性を統合し、イメージの中で結婚させることが重要らしいです。先ほどの私の例だと、屈強ムキムキな攻撃的な男性と、いかにも美しい繊細で可憐な女性を結婚させようとすると、イメージの中で男性が女性を襲ってしまうような感じになったかもしれません。ワークしていくうちに、男性性も女性性もバランスが取れてきて、スムーズに統合できるようになると思います。自分の内側の男性性と女性性のバランスが取れると、自分が本当にピュアな状態で合う人と出会い結ばれることになるのかもしれません。そのことについてはこれから自らが実験台となって証明できたらいいなと思います(笑)。

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