「転勤」で直面する人生の優先順位

先日、学生時代の友人(新婚さん)のお宅に遊びに行き、そこで友人たちとわいわい楽しいひとときを過ごしました。私以外の友人はいずれも新婚で、結婚式での話や新居の話、今の生活などについて色々と話を聞かせてもらいました。そんな中、一人の友人が「最近夫が転勤になり、(急なことだったので)今は別々に暮らしている」と話し始めました。また、それに関連して遊びに行ったお宅の友人やご主人の職場などでの転勤エピソードも聞き、世の会社で行われている転勤の実態を少し垣間見ることができました。ひどいと一週間とか数日前に転勤辞令を言い渡されるそうで、市役所勤めで転勤とは無縁だった私が仰天したことは言うまでもありません(世間知らずです)。

私はその話を聞いてから、なんだか終始やり場のない怒りみたいな感情に襲われてしまいました。新婚夫婦をバラバラにするような突然の人事、ひどい場合は家を買った(借りた)直後などに辞令が言い渡されることもあるそうで、本当に会社って人間を人として見ていないんだなぁ、ということを実感しました。もちろん全部の会社がそうということではないですが、まだまだそういった体質の会社は多そうです。会社に家族をバラバラにする権限はないと思うのですが、実態は転勤を拒否すると立場が危うくなるとか不利益を被る場合が多いとか、断れないケースが多いみたいなので、至極当たり前にまかり通っている現実があるようですね。

私は幸い親が転勤族ではなかったので、生まれてこの方同じエリアに住んでいますが、小学校の学区に大手企業の社宅が多数あり、かなり転校が多い学校だったと思います。小1の時のメンバーと小6の時のメンバーでは半分残っているかいないかというレベルでした。私は小学校の頃から気つかいいで真面目で繊細だったので(笑)、「しょっちゅう転校とかものすごいストレスだろうな」と当時から思っていました。今でこそ通信が発達していますが、当時は転校したら今生のお別れみたいな感じもありましたからね。そんなことを感じていたからなのか、東京が好きだからなのか、就活する際も転勤がない仕事にしようと思っていました。女性は特にそういう考えの人が多いと思います。

少し話がずれました。今回の件は、私には正直全く関係がない話で、他人のことなんだから軽く聞き流せばよかったことなのに、なぜこんなに引っかかってしまったのだろうと考えました。私は以前から、支配層の思想レベル・意識レベルでの大きな目的は、家族やパートナーシップの破壊であると書いてきました。お金が大事と擦り込ませ、そのために働く奴隷を養成することにより、家族やパートナーシップをじわじわと破壊することができます。実際、親しい人間関係の中で愛を育むことよりも、経済活動を優先するように仕向けられている現状がありますよね。「転勤」は直接的・物理的に家族をバラバラにすることができますし、早いうちに家でも買わせておけば、よりその効果は上がると思います。会社の論理から言っても「転勤」にはメリット・デメリットあると思いますが、家族愛・夫婦愛といった観点から見ると、デメリットの方が確実に大きいのではないかなというのが私の考えです。

「転勤」は一見夫婦の危機のようにも見えますが、ここでしっかり自分の人生における優先順位や生き方、価値観を見定めることができれば、二人の愛はより強くなるでしょうし、困難を乗り越えてこそ絆が深まるとも言えると思うので、必ずしも悪いことではないのかもしれません。夫婦だから毎日一緒にいなければならない、一緒に住まなければならないということでもないのかもしれません。その辺りの価値観・思想がしっかりと固まらないからこそ、他人はどうしたのか気になったり、自分の決断に迷いや後悔が生じたりするのだと思います。私個人の考えとしては、仕事はいくらでもあるけど愛するその人は一人しかいないので、相手との関係を優先したいなと漠然と思っています。そして本当に幸せなのは、何を差し置いてもその人との愛の関係以上に大事なものはないと思えるような相手に出会い、その人を愛し続けることなのかもしれないな、と思いました。

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