引越作業と「モノへの執着」

ここの所、引越準備で実家に帰ったり引越屋さんを探したりリサイクル屋さん探したりと、引越に伴うあれこれでばたばたしていました。12月に大量に物を捨てたり、家を大掃除して綺麗にしたりしていたけれど、やはり2か月くらい経つとまた要らないものや掃除しないといけない個所が出てきますね。モノを捨てたり整理したりする中で思うことは「こんなにモノいらない…。」ということ。もっとモノを減らしてすっきり快適に暮らしたい!という気持ちが高まってきました。

持っているだけでお金がかかるものは特に慎重に考えないとなと思っていて、特に家と車は高額で税金もかかるので、(そもそもそんなお金ないけど)欲しい願望はありません。あとは今回処分が面倒だなと思ったのがベッドですね。実家は畳の部屋に布団を敷いているので、一人暮らしをして初のベッド暮らしだったのですが、ベッドはなかなか買い取ってもらえずかさばるので「やっぱり布団が楽だね」と思ったのでした。畳に布団を敷いて押し入れにしまってそこにちゃぶ台を置いて食事をして…という日本的な生活スタイルってやはり場所の使い方が効率的なんだな、と改めて思いましたね。

数が増えてなかなか捨てられないモノは本と服ですね。昨日の日本古来の叡智を細胞レベルで思い出すの記事でも本棚の整理のために読んだ本のことを書いたのですが、他にも何冊か積読状態の本があるのでそれも引越までには読んでしまいたいと思っております。最近は漫画は電子書籍で買った方が良いな、と思って紙の本は買わないようにしていたのですが、今後は雑誌なども電子で買うことにしようかな…とちょっと思いました。紙の本や雑誌を読むのが好きなので今までは紙で買ってきましたが、やはりキリがないですね。服も季節ごとに何パターンか必要、と思うとそれなりの数は必要なのでどうしても多くなってします。定期的に買取に出していますが、それでもなかなか減らすのが難しいものです。

モノに執着してしまう気持ちって結構あって、「また今度読むかも」とか「今年の夏は着るかも」とか思って捨てられないことが多いです。モノを減らしてすっきり快適に暮らしたい!という気持ちと、モノに執着する気持ちがまだ両方あるので、思い切った削減ができずにいます。モノを捨てる捨てないを判断する今のような状態って、「所有」に対する自分の概念を見直すいいきっかけだなと思いますね。持っていてどうしたいんだろう、失うと何が不都合なんだろう、持っていることでどんな気持ちを得たいんだろう、失うとどんな気持ちになるんだろう…普段言語化されていない概念や気持ちをこの機会に見つめ直してみようかなと思っています。

モノを減らす作業をしてみて思うことは、これからはもっと慎重にモノを買おう、ということです(笑)。もちろん今までも何も考えなしに買っていたわけではないのですが、より気に入って長く使えるようなもの、飽きが来ないものを選ぼう、と考えを改めました。服とかでも、高校生くらいから着ているものがまだある一方、1年くらいで着なくなってしまうものもあるので、流行りを追いすぎず、ベーシックなものを着まわせるセンスを磨こうと思いました(笑)。あとは、モノを増やすよりも、消えモノ(=食べ物、消費系、体験系、勉強系のこと)にお金を使っていきたいと思うようにもなりましたね。なるべく目に見えないモノ(ライブ、お芝居、セミナーなど)にお金を使いたいですね。食品ロスと「必要な分だけ」意識の記事でも書いたように、食べ残しやすぐに飽きて捨ててしまうのは「もったいない」ことでもあるので、食べ物でも服でも何でもまずは本当に「必要な分だけ」買うようにしたいなと感じました。「モノへの執着」はまだある。それでもモノは使わずに溜め込んでいてもエネルギーが滞ってしまうので、使わないモノは思い切って処分して、新たな豊かさを迎え入れるスペースを作っていこうと思います。

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