良い意味で「無関心」になればストレスフリー

今の世の中のストレスの大部分を占めるのが人間関係のストレスでしょう。他人のことが気になってしょうがない。過干渉や束縛も日常茶飯事です。芸能人の不倫のニュースが出るたびに騒ぎ立てる、非難する。別にあなたが被害を被ったわけではないじゃないですか…本当にエネルギーの無駄遣いだなと思って傍観しています。

みんながみんな、意識が外を向きすぎていて、外の対象に対してとやかく言いたがる傾向が強いですよね。大切なことは全部自分の内側にしかないのに、それを見ないで外ばかり向いて振り回されている。他人のことを批判してばかりの人生は心がすさんでとても辛かろうと思います。癒しが必要ですね。

親子関係でよくあるのが、親が子のためと思って犠牲になってしまうパターン。「あなたのために○○を我慢してるのに」みたいな思いですね。「あなたのために我慢したって言うけど別に私そんなことしてって頼んでないんだけど…。」そういう思いがふと浮かぶがことがある人は結構多いのでは?そういう親に育てられると、我慢するのが美徳という価値観が形成され、「自分の思い通りに生きるのは悪いこと」という思い込みができてしまいます。親子関係のみならず、それ勝手に我慢してるだけじゃん、ってパターンは日常によくあることです。それくらい「自己犠牲」「我慢」を美徳とする価値観は根強いです。

私の幼い頃を思い出してみても、何より嬉しいのは、両親が仲良くしているときや、両親が楽しそうにしているときだったと思います。大人になるとあまりそういう感覚はありませんが、子どもの頃は特に「両親が楽しそうか」ということに神経を使っていた気がします。親が不機嫌だとすごく気分が悪くなりましたし、それである意味親の顔色を伺うような子どもになってしまったと思います。子どもはいつも親にご機嫌でいてほしいと思っているし、自分のために犠牲になって苦しい思いをしてほしいという子はまずいないと思います。ですからまず「親がいつもご機嫌でいること」というのが家庭の円満の秘訣でしょうし、そのためにも子どものためにと過度に我慢したり自分を犠牲にすることはないと思うんですね。もちろん、育児放棄はもってのほかですが。

私は子育て経験がないので、「言うは易し行うは難し」なのだろうな、とそれも承知しています。しかし、「自己犠牲は美徳」のループを先祖代々受け継いでしまうと、いつまでも日本全体が「自己犠牲は美徳」のループから抜け出せず、永遠の「我慢大国」になってしまうと思うんですね。働き方も変わらず、相変わらず組織に過度に気を遣って、我慢や自己犠牲を美徳とし、他人にもそれを求め、自由人を批判するような雰囲気から脱せません。

究極「愛想の良さ」が身を助けるの記事にも書きましたが、「いつもご機嫌でいること」がすべてがうまくいくコツなので、他人に気をとられてエネルギーの無駄遣いをしているのであれば、良い意味で他人に「無関心」でいて、自分を楽しませることに注力した方がよっぽど輝く人生が送れるはずなんですよね。自分が楽しければ、芸能人の不倫なんて超どうでもよくなるし、他人の言動にイライラしなくなるし、どんどんストレスフリーになっていく。一人一人がもっと自分にエネルギーを向けていけば、こんなにすさんだ社会にはならないはずなんです。

それがすなわち、真に自立・自律した人生ということであり、そういった個人が増えることにより健全な精神の社会に近づいていきます。「他人を変えたい」「他人をコントロールしたい」という思いは、常にエネルギーの無駄遣いです。自分自身が楽しくご機嫌でいる、光を放つ存在であるということが、ひいては他人を変える原動力になる。私もまだふと「もっと他人がこうあればいいのに!」という思いが湧きあがることがあります。そういうときはたいてい肩に力が入って空回りしてしまう。そんな時は原点に立ち返り、自分自身がご機嫌でいられる選択肢を常に選ぶように心がけています。

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