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映像が語りを導く~ナレーション持論

雨となりました。センバツ高校野球も開幕日でしたが中止。大阪・毎日放送で「みんなの甲子園」という番組を今年もさせていただきます。

ナレーションは映像を視ながらがやっておりませんで、原稿を見ながらです、はい^0^しかし目の前にモニター画面がありまして、時折、映像を視て、「被写体」を感じ取りながらナレーションをしています。

高校球児の表情。試合の緊張感。各選手の気合いや不安を映像から感じつつ「そのシーンにあったナレーション」を心がけています。

「こう読みたい、ナレーションしたい」という気持ちはもうかなり減りまして、今年からきちんとテーマを掲げました。それは「映像に誘われる」です。もちろん、私の意図するところも加わりますが、それでも「映像に導かれるまま」を大事にして、自分のナレーションスキルを使うということなんですね。

先日、担当ディレクター(以下D)と話したのは「Dは映像編集してて、その場面にあったナレーション原稿を書くやん?たぶん『ここ、ここ拘ってん』とか『はまった!』てなとこあるやん?それを訊かずとも感じ取れて、ナレーションに反映できたらええなと」

こういうことが出来ると、ある種「ゾーン的」な感覚が得られる、「気持ちいい!」になると思います。それがおそらく視聴者にも伝わるのだろうと思っています。朝5時の放送ですから、「テレビ点けてるだけ」の視聴者も多いかと思います。視てないが「聞こえて」いたりはする。ですので尚更ナレーションで「空気感」を伝えられないかと思うわけです。

その時に、ナレーションと映像にギャップがあると「思うてたんと違う」にもなりかねません。「なんとなく違和感」はあるかもしれない。「音」でついテレビに振り向いて、そのまま視続けてもらえたら嬉しいな^0^

ナレーションは映像あってのものなのであります。


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