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それから『ワルツ』


ワルツ

今日もひとごみの改札口にはじかれて
超高層ビルに飲み込まれていく
ワクワクしていた桜の季節を通り過ぎ
心に余裕は少しもありません
夜になればそれはそれで怖くてたまらない
写真立ての私に殺されそうになるから
飼い慣らされた犬みたいになってきた
こんな私を愛してくれるかしら?

ぐるぐるぐるぐるまわり続けてる
頭の中がまわり続けている
目をつむれば目がまわるから
寝るのもツラくなってきてるんです
ワルツを踊った後みたい

四月の終わりに雨が降り
憂鬱な彼女が映る窓ガラス
アルコールとコーヒーじゃ忘れられないことが増えてきた
混沌とぼやけた頭がどうかベランダから落ちぬように
僕はそっと神様に祈りました

最近になって気づいたことがある
なんかちょっとぎこちない
ほんとはね
もっとドキドキしたい
心がちぎれるくらいドキドキしたい

ぐるぐるぐるぐるまわり続けてる
頭の中がまわり続けている
目をつむれば目がまわるから
寝るのもツラくなってきてるんです
ワルツを踊った後みたい

四月の終わりに雨が降り
憂鬱な彼女が映る窓ガラス
ハイヒールの靴音に 一人ぼっちの夜を襲われる
心ない言葉がナイフになり 手首の傷と変わらぬことを 僕はそっと神様に祈りました
あなたのために
あなたのため


【解説】
お互いフリーターとして
大学を卒業して、
彼女と半同棲のような生活の中で、
4月に彼女がおかしくなってしまった時の曲。
おそらくちゃんと診断したら
躁うつ病のようなものだったと
今では分かるが、
毎日バイトが終わって家に帰ると
彼女が待ち構えていて、
彼女が朝家から出て、
夜帰ってくるまでの事を
必要以上に詳細に話したり、
かと思ったら突然泣き出したり、
いきなり返事もしなくなったり、
あの時は本当にどうしたらいいか分からなかった。
学生時代とは人が変わってしまったというか、
糸が切れてしまったかのようになってしまった。
人間って暖かいから寒いになる時は
割と耐えられると思うけど、
寒いから暖かくなる方が気が緩むというか、
体調を崩しやすい気がしている。
特にメンタル。
自殺する方も圧倒的に春の方が多い。
4月の終わり、
GWの始まりはなぜかよく雨が降っている。
そこが季節の変わり目でもあるんだろうが、
より憂鬱な気持ちになる。
この頃から
僕は冬よりも春の方が憂鬱を感じるようになった。

ただあの時、
実は僕も同じような状況ではあって、
躁うつ病まではいかなかったが、
やっぱりちょっとおかしかった。
気がついたきっかけは
親知らずの治療で歯医者にいた時、
診察を待っている間、
椅子に仰向けに寝ていると天井がぐるぐると回っている。
仰向けに寝ているのに
立ちくらみのような状況が続き、
最初は地震かな?とも思っていたけど、
受付にいる先生も助手も何も動じてない。
「ああ、回ってるのは俺だけなんだ」
とすぐに察した。
診断まではしてないが
これはおそらくメニエール病と言われる三半規管の病気で、
強いストレスが掛かるとこういった症状が出るらしい。
確かにアルバイト先のラーメン屋に
リクルートスーツや
合同説明会終わりの学生もよく来ていて、
見るたびに胸が苦しくなっていた。
自分で選んだ道ではあったが、
大学を卒業しても
フリーターという自分が何とも情けなく思えて、
「俺って今、
社会ではいてもいなくてもいい存在なんだろうな。」
と誰から何かを言われてる訳でもないのに
毎日ずっとそんな居心地の悪さを感じている。
そして彼女も
同時期にメニエール病を発症していて、
彼女が元気な時であれば、
2人で部屋で寝ている時に
「ダメだ、また天井が回ってる」
とよく2人で笑っていた。
そんな頃の曲。

ただこのまま
このエピソードを書くと
あまりにも悲惨で重々しいので、
少しでも面白い感じにしたくて、
目が回る=ワルツ
というところに言葉を変換したし、
曲の中も重たい言葉を使わないようにだけ心がけた。
もちろんワルツを踊ったことはないが、
多分今踊ったら
こんな感じで目がまわるだろうなという想像。
彼女のこの状況をどうにかしてあげたいと思っていたものの、
僕は僕でボロボロで何もできることはない。
そんな状況を変えたくて、
とりあえず曲を作った。
青すぎて笑えるが、
あの時は真剣にやれることが
これしかないと思っていた。
ただこの曲、
聴いて分かる通り、
この曲は始まりと終わりで何も解決はしていない。
僕が彼女へ向けて、
ベランダから飛び降りないように、
リストカットしないように
ただ神様に祈ってるだけ。
でもそれ以上のことは何もできなかった。
せめて
彼女の隣でずっとこういう気持ちでいることだけ伝えたい。
そう思って1人で夜中、
鶴舞公園でギターを片手に歌詞を書いた。

写真立ての私は昔の自分の姿であり、
ハイヒールの靴音に殺されそうになるのは
ハイヒールの靴音=社会人の存在という比喩。
飼い慣らされた犬みたいになってきたのも
理不尽を感じても
社会の中では存在が小さ過ぎて、
どうすることもできない自分の事。
「ただドキドキしたいだけなのに」
そういう意味では
これは彼女に向けた曲でもあり、
自分に向けた曲でもあった。

この曲には後日談がある。
別れた彼女と数年ぶりに会って話している時、
今は障がい者支援の会社で働いていると言われた。
「それ相当大変なんじゃないの?」
と言う僕に
「あの子たちは嘘ついたり、
陰で悪口を言ったり、人を騙したりしない。
よっぽど普通の会社で働くよりいいよ。」
と言われた。
その言葉から
あの時には感じられなかった
彼女の芯の強さや
持っていた価値観の素晴らしさに驚きながらも
この曲を作ってまで、
どうにかしたいと思っていた
あの頃の弱々しい彼女は
もうこの世界にはいなくて、
「もうワルツは役目を果たしたんだろうな。」
と思うと同時に
嬉しいような、
寂しいような言葉にできない気持ちになった。
男は男で感傷的で本当に身勝手なものだと思う。

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