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Permanent Collection『THE WORLD IS MINE』

THE WORLD IS MINE

閉店前 滑り込む
誰にも会わない週末スーパーで
おつとめ品 浮かれる僕が嫌い
あの人の顔 思い出す
ぼやけるたびに大人になっていく
さよならだけがほんとに人生か?

どうしようもなく参っている
途方もなく落ち込んでいる
そんな時間も沢山あったけど

だからどうした

「いつか僕が世界を変える」
そんな想いをちゃんと持っていよう
「雨が降って 地面固まる」
そんな今日をちゃんと抱きしめて
そっと眠りにつけ

FMから聴こえてくる
勝ち組が話す人生哲学は
「後付けだ」ってちょっと思ったんだ
でも
演芸場 ノタレ死ぬ
2.3人だけが知ってる存在が
僕の理想の終着点なのか?

どうしようもなく参っている
途方もなく落ち込んでいる
そんな時間も沢山あったけど

それがどうした
 
「いつか僕が世界を変える」
そんな想いをちゃんと持っていよう
「夢は故郷に錦を飾る」
そんな今日をちゃんと抱きしめて
そっと眠りにつく

どうしようもなく参っている
途方もなく落ち込んでいる
そんな時間も沢山あったけど

「いつか僕が世界を変える」
そんな想いをちゃんと持っていよう
「雨が降って 地面固まる」
そんな今日をちゃんと抱きしめて
そっと眠りにつけ


【解説】
前回の『あなた』発売より
バンドのモチベーションを失っていた時期が続いていた。
ある意味では
『素晴らしい日々』『それから』『あなた』
で明日、照らす3部作となっている気がしていて、
このアルバム3枚で
1人の人間が成長する過程は終わり、
その最後に近くで見守ってくれた人たちへの感謝の言葉として、
『xoxo』で結んでしまったことで、
バンドが完結してしまって、
曲を書くモチベーションもなくなってしまっていた。
もちろんやる以上は
定期的にはスタジオで曲を試したり、
その間も
ライブをやっていていたりしていたけど、
バンドの主題がないというか、
なんかこうこれ的な感じがなく過ごす3年間だった。
次のステップに進む為に
個人的には
ジャンルを変えたいとも思っていて、
政治的な歌詞を書いてみたり、
音楽も打ち込みにしたいとか、
管楽器入れてみたいとか、
そんなことばかり言っていたし、
僕からばんにも
「今までのイメージを一新して、
次は振り切りたい。」
みたいなことをよく言っていて、
ばんとも噛み合わない時期だった。
振り返ると
ただ新しいことがやりたいだけで、
それが歌いたいことではなかった。
あの時はそれがバンドの進化だと思っていたし、
そうしないと作品として
同じような土俵にいると
『あなた』を上回れないとも思っていた。
その悶々とした
3年間を過ごしたことで、
作れたのがこの曲だと思う。
ある日のショーバイロックのライブの楽屋で
KFK(カフカ)のカネコさんとお話してた時に
「新曲楽しみにしてます。」
と言われたことがあって、
「全然曲できないんすよ。
もうあんまり歌いたいことがないんですよね。」
と話すと
「なんか村上さんには
それも歌ってほしいとは思いますけどね。
「俺もう歌うことがない」
っていう曲も聴きたいですけどね。」
と言われたことで、
「意外とそんなふうに思ってくれてる人もあるのかな。
題材なんて
そこに自分があれば何でもいいのかも。」
と思えたことが、
テーマとは違うけど、
割とこの曲作りのきっかけになっている。
またもう一つは
「なんか偉そうに
『明日、照らすの作品として』
というところにこだわりすぎてるのかもな。」
という気持ちになったことで、
結構歌詞も自分の中のハードルが低くなったの大きかった。

例えば

「閉店前 滑り込む
誰にも会わない週末スーパーで
おつとめ品 浮かれる僕が嫌い」

のくだり、
個人的には結構並びが気持ち悪い。
本当だったら、

「誰にも会わなかった週末、
閉店前のスーパーで
僕がおつとめ品に浮かれているのが嫌だ」

というのが
言葉として正しい順番だと思ってて、
自分が書く歌詞の全部じゃないにしても
意図的でないのであれば
ある程度は5W1H的に
「When:いつ」
「Where:どこで」
「Who:だれが」
「What:何を」
「Why:なぜ」
「How:どのように」
のような自然な言葉の順番になってないと
そういうのも昔だったら許せなかった。
でもこのメロディにはそれが合わない。
そんな時に
「意味さえ分かればまあいいか。」と思えた。
多分年齢を重ねたところでもあるかもしれないが、
自分の中で勝手に作っていたハードルが
下がっていて、
それがいいのか悪いのか、
歌詞にも反映されている気がする。

話が前後してるけど、
結局この曲で言いたいことは
「何にもなかった日が
きっといつか何か成功を掴む為の日だった
と後々思える日が来る。
そう信じていこう。」
ということで、
一人暮らしで彼女もいなく、
ただ悶々とした日々を過ごしていた
僕のリアルを書いている。
スーパーでおつとめ品に浮かれていて、
「あの人(『東京サーモグラフィー』ショック)にこの姿どう思われるのか?」
と思うけど、
久しく会っていないのであの人の顔が
あんまりちゃんと思い出せない。
あんなに熱狂していたのに。
結局こうやって別れを繰り返していくことが人生なのか?と
閉店前のスーパーで思ったことが1番。
FMラジオ(ZIP FM『センチュリーセッション』)を聴いていた時に
一緒にライブハウスに出演していた
同年代ぐらいのバンドマンが出てて、
曲とか語ってたけど、
「それ、後付けじゃない?
多分本気でそう思って書いてないよね?
でも彼らは仕事になってるから
大衆に向けてそう言うしかないか。
大衆に媚びるしかないよね。」
とかやっかみ、皮肉に思ったけど、
「でも俺って
そんなけ偉そうなこと言ってて、
自分を貫いて、
ビートたけしの『漫才病棟』に出てくる師匠みたいに
お客さんが2.3人しかないに演芸場で
芸を披露するような人間になりたいの?
それを耐えられるくらいの器もないでしょ?」
と自問自答した経験が2番にきてる。
でもそういう惨めな時間が
いつか世界を変えるくらいのことをしでかす
僕のために必要だったんだって、
雨が降って地固まるための時間だって、
思うことにしようと
自分にどうにか言い聞かせていた。

前にも書いたけど、
曲がキャッチーな分、
割と好き勝手に歌詞を書いていて、
「出てくる言葉の題材が変でも
テーマとしては普遍的なもの」
というのを意識して書いた。
スーパー、
おつとめ品、
演芸場など
わざとそういう一般的に
歌詞には使わないであろうワードを出してる。
その分、
サビの歌詞は分かりやすい方がいいと思って、
さらっと聴けるように
馴染みがある言葉=ことわざの変形版
みたいなのを考えた。
その時は結構、
チャットモンチーを参考にしていた。
「故郷に錦を飾る」
というのは今も思ってるいちばんの夢。
最後のサビは
実際何パターンもあって、
「雨が降って季節が変わる」
「雨が止んで雲は流れる」
が最終的に候補としてあったけど、
ばんに
「友哉がどう思ってるか分からないけど、
そんな思ってもないのに
無理にメッセージ性を出そうとしなくていいんじゃない?」
と言われて、
最終的に1番の繰り返しにした。

タイトルの『THE WORLD IS MINE』は
割と何でもよかったけど、
合唱パートが作りたくて、
そこに当てはまる言葉を考える中で
語呂が良くて意味が通じるからこれにした。

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