見出し画像

発言して拡げることは誰かのホッカイロになる

スチームサウナの中でマッチを擦るように火は瞬く間に消えてしまう。

日本では芸能人が沖縄の辺野古について発言したらメディアは辺野古を取り上げるのではなく、すぐに「芸能人は政治的な発言はありか、なしか」を取り上げる。ありか、なしか、をジャッジする人の思考はとても単純で、自分と同じ意見のやつは自分の意見の肯定されることに勇気付けられ「よく言った!素晴らしい」と言う、逆の意見のやつは否定され、不安になり「不勉強だ、無責任だ」とバッシングをする。

彼らはその程度でしかなく、その意見をジェンガのようにネクストステージに積み上げない。「よく言った」も「バカがいうな」も、どちらもただの評価にしか過ぎない。だからどんな芸能人の発言も、スチームサウナの中でマッチを擦るみたいに、問題提起の炎は瞬く間に消える。

それを今日ハワイから沖縄の基地問題を助けに来たアメリカ人ロブカジワラと話したら「アメリカでは芸能人が発言するのが普通、勉強してる、してない関係ない、専門家でもないんだから、口を開くかどうか」と言われた。おれはとりあえず感じたことを声に出すことは大切だと思う。

それが誰かからみて無知で、怒るような発言だとしても。例えば、沖縄の県民投票の会のリーダーの元山くんが県民投票に参加しない5市町村に対してハンガーストライキという形で食事を摂らずに、宜野湾市役所の前で座り込みをやった。そこでそれを良しとしない人たちが、罵詈雑言を彼にネットで浴びせた。例えば高須院長が「たった4日のインチキハンスト、ただのダイエット、お笑いです」と言っていたり、タレントのフィフィが「健康管理した上で、しかも日本みたいに言論の自由が保証された国でハンストする意味とは?」とツイートした。

これに対して「そんな言い方は酷い」と言うコメントがあったが僕は個人的にはありだと思う。なぜなら田町の独演会によく来てくれるファンの女性から元山さんのところに「ホッカイロを送りたい」と言ってきた。なぜか聞いたら、元山さんのことを僕からではなくフィフィのツイッターで知った、と。彼女はフィフィのコメンテーターとしての発言が好きでTwitterをフォローしてたところ、そんなツイートが流れてきて「ハンスト?てなに?」と調べて「元山くん」そして「基地問題」「県民投票」まで辿り着いて、自分で、なにかしたい、と思い、僕がTwitterで元山くんと繋がってるのを聞いて「是非、次はわたしもホッカイロを送りたい」と申し出てきてくれた。そのハンスト→元山→基地→県民投票、この→は魅力的な伝え方をしてくれた人のバトンで、この人たちが難しい話を魅力的に、その子に伝えてくれた。そしてその女性が誠実に向き合い次の元山くんへのホッカイロになった。

人間はバカではない、考える生き物だ。おれが「沖縄の辺野古を埋め立てるな」とツイートで書いたところで、それを見た人が「そうだ!そうだ!」とはならない。ローラが辺野古のことを守ろうとインスタで書いてもファンの人たちは「そうだそうだ」とはならない、そうだそうだ、と言ってる人は前から「そう」の人であって無関心な人の心を起動させるのとは別だ。

あくまでも問題提起をしたタレントはクイーンのブライアンメイでありローラであり辺野古という雑誌の表紙で、中身を自分で確認するきっかけだ、そして中身をみて「心を動かす内容」に心が動いたら、その時初めて辺野古の埋め立て反対を示す。だから今回の県民投票は皮肉にも賛否両論の否も、考える波紋を広げてくれて、彼らのおかげもあり、声が広がり、味方が増える。それは炎上などという簡単な言葉じゃない、発言からの広がりからの無関心だった誰かの思考を動かして行動させる。

ファンの子は「フィフィさんのおかげで沖縄の問題を知れた」と皮肉でもなんでもなく感謝していた。僕の親友のジャーナリスト堀潤は言ってた「沈黙は同意だ」と。発言すれば、誰かの行動を起こす起爆剤になる。しかし、この日本ではいまだに「バカは発言するな」と言いチープな言葉で口を塞ごうとする奴がいる。発言とは次のステージに言葉を積み上げる作業であり、ジェンガを倒すような作業ではない。おれは朝まで生テレビで「憲法9条について知らない」と言った、学者などの知識人の中でその言葉を発言した。もちろんたくさんのバッシングがあった、しかし、その中にいくつか「知らないことを知らないと言える勇気が出ました」「私も知りませんでした、おかげで知ろうと思えました」と感謝の言葉も沢山もらった。彼らが同じようにまた次のステージを目指す。

それが民主主義の成熟なんだ、ひとりひとりが、考え悩み、分け合うこと。「学歴順に選挙で何回も投票して良い」というルールはない、基準を満たしていれば誰にでも等しく一票はある。だからこそ、政治や社会問題を語るのは、学者というわかったふりをしてる連中じゃなく、ひとりひとりであり一票をいれるのもひとりひとり。僕は今日沖縄に来た理由は、おれが行くと記者が来る、取材される、記事になる。そしたら見る人も少しは増える。フィフィの発言からの沖縄を応援したくなった女性と同じで、おれの発言から、村本正しい、ではなく村本の言ってることはおかしい、わたしはこう思う、でいい。どうしようもないイデオロギー闘争に巻き込まれる時間はもったいない、入り口は多い方がいい、きっかけにしか過ぎない。

2年前、堀潤という友達ができ彼に36歳だった僕は「沖縄の基地問題まったく知らないから教えてください」と言い、沖縄の話を聞き、沖縄の漫才を作り、それを沖縄でやったら「何も知らないくせに無責任で不勉強な事言うな」と言われると覚悟してたら、舞台監督の沖縄市出身のおじさんが「ありがとうね、、」と言ってくれた。それから沖縄にますます興味がでた。辺野古の座り込みをしてる人は「お金もらってる人しかいない」とTwitterでコメントがあった。

あえて言う、僕はそんな意見のおかげで「本当かな?本当はどうなんだろう?」とさらに好奇心が出てきて、自分の目で見に行くことにした。実際に沖縄の辺野古に行って、そこで座り込みしてる人たちと飲みに行った。近くのバーでいろんな話を聞いた。彼らから話を聞いたらお金なんかもらってなんかなかった。

それよりなぜそんなことを言われるのかさらに興味がわいた。僕はいつしか沖縄に友達が沢山できた。沖縄県民たちが今日、ツイッターで「県民投票お願いします」と言っていた。「雨で投票率が伸びません」と困っていた。

ひとり旅で香港中国に遊びに来ていたけど、居ても立っても居られなくなり、飛行機を変更して、沖縄に来た。それだけで、沢山ありがとう、と言われた。おれが行くと記事になる、記事から誰かが、県民投票というワードを知ってくれる。

そのきっかけでしかない。あの時「おれはバカだから発言しないでおこう」と思ってたら、誰のきっかけにもなれなかったし誰かからの「ありがとう」にもならなかった。発言しよう、口を開くこと。

そしたら何かにつながる。それが批判でも賞賛でも、誰かの批判が結果、その人にホッカイロを届けたように。明日、東京のまったく沖縄の基地問題に関心がない誰かが、今夜の県民投票の話をお昼休みにお弁当食べながら「県民投票、沖縄の基地、わたしはこう思う」と話をしてますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?