不快な気持ちにさせた人へ

「自分の町がなくなることへの話」ってので炎上してるらしい。

僕の生まれは福井県のおおい町。のどかで自然が多いのんびりした町。おおい町には原発がある。原発があるのが子供の頃から当たり前だった町。原発で働けたら将来、安定の最高の人生だと、学生時代まわりから言われた。そんな町。そうおれも思ってた。たまたま僕は芸人が夢だった、芸人を目指して大阪に出て、東京にでた。ある日、東日本大地震という大きな事故が起きた。そのニュースで目にしてのが福島。福島の原発が地震で事故を起こし放射能が漏れ、双葉郡の町から人が住めない町になった。それから7年、まもなく8年。僕は原発について、考えたこともなかった、原発は電気を生むところというより仕事を生むところ、町が豊かになるもの、だと思い込んでた。原発のことを考え出したのは、牛だ。僕はステーキが好きで牛を当たり前に食べる、牛が殺される、牛の悲鳴については想像すらしなかった、牛をかわりに屠殺してくれる人のことも考えたことがなかった。だからこの前の休みに屠殺を見に行こうと思った。だけど、同じおおい町出身の後輩が、原発事故の町をみたい、と言ってきた。たしかに、おれの地元も原発の町、自分の町がなくなったことを考えた、ゾッとした。浪江町を調べた、地震と原発事故で2万人いた人たちが800人になったらしい。未来の自分の町を見てる気がした。居ても立っても居られなくなって、僕は浪江町に行った、浪江町には、イフ、という小さな居酒屋が駅の近くにあり、そこで地元の人が語り合ってると聞き、イフに行った。地元の人たちと地元の酒を飲んで語り合った。いままで、知らなかった自分の無知さが恥ずかしくなった。そんなことしか考えてなかった、おれが地元の人を集める時にツイッターで「自分の町がなくなる気持ちを知りたい」と素直に書いた一言が最低な一言だったなんで。自分が人としていかに欠けてるか、を思い知らされた。おれは思いやりが欠けてた。いや、欠けている。大反省しないと。でも、いやでもという言葉は言い訳だけど、自分の町の未来を見てる気がして。まあ、またゆっくり書いていきます。

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村本大輔

村本大輔 1980年生まれ ウーマンラッシュアワー という漫才師 定期的に独演会もやってます。 いつかここに書いた言葉を本に出来たら。

スクラップ

コメント16件

思いやりがないし最近言っていることがめちゃくちゃですね
福島県に生まれ育ち もちろん今も住んでいる者です。
村本さん。お仕事のお忙しい中の せっかくのお休みに福島県に来てくださって ありがとうございました。確かに言葉は難しいですね…でも私は村本さんの おっしゃりたかった事もそのお気持ちも悪いようには受け止めていませんよ。悪気が無い事もわかっています。大丈夫ですよ 頑張ってくださいね。
ちなみに私の主人も原発で働いておりました。
真実と現実を村本さんの目で確かめて正しく世間に伝えてください。
村本さんのように自分の目で確かめている人って少ないです。本当に尊敬します。当事者の方々も、無関係な方々も、叩く人というのはみんな心に何らかの不安を抱えているのですね。かくいう私も、ネット上の言葉のナイフに敏感に反応してしまいます。本当かわからないニュース、誰のものかわからない言葉に反応ばかりしているのではなく、色んな物事を自分で調べていきたいです。
同じ福島県民として避難区域の方は本当に大変だったと思います。それは正直にそう思います。家族も家も街もなくなり今も辛いと思います。テレビやニュースではそこしか取り上げてくれないですよね。避難区域以外の福島県民の気持ち聞いた事ありますか?8年経った今、避難区域から避難された被災者の方の一部でお金があるから仕事を辞め、家を建て、高級車を乗り、子供にぶつかってもにらみつける。同じ県内で暮らしていて、被災者の方とそうでない方の暮らし差が目に見えてわかります。賠償金をもらいながら、街に帰りたい一心で除染土の受け入れを拒否し、実際は置き場所が足りず、放射能数値が低い地域にまで一時保管されています。私は3人の子供の親です。震災の時にお腹にいた子が今年小学生になりました。子供達の事を考えると正直辛いです。そんなに放射能が心配なら外で遊ばせなければいいのかもしれないけれど、震災後初めて外で遊ばせた時の子供の笑顔が今も頭から離れません。野菜も米も福島県産は素晴らしく美味しいので子供にも食べさせてます。もう少し被災地以外の声も聞いてもらいたいなって思いました。8年経っても何も変わらないなって思いました。
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