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年に一度の漫才を終えて

‪何回も言うけどおれの漫才は時事ネタじゃないからな。時事とはその時の事。

おれは誰かが旬のネタとして、"誰かのその時の事"をすこしさわって彼らのことは過去にあった懐かしいこととして過ぎ去っていく、忘れ去っていくことが許せなかった。時事ネタとかいう言葉が大嫌いで、誰かの日常を、そのときだけつまみ食いしてるようにみえるのさ。

沖縄ってのは居酒屋で基地の話をしない人も多いって聞いた。意見が違うから、ケンカになることもあるって。でもさー、県民投票ってので自分はどう思うかって投票いって、70パーセント以上の県民がこれ以上基地いらないって言った、おれもその場に観に行ったけど、泣いて喜んでる人もいた。それに対して安倍政権は真摯に受け止めますって言って工事を続けた、それもおれはふざけるなと思ったけど、それを、ネタでやった時に、へーそんなことがあったんだってリアクションがおれはもっと嫌だった。

日本が安全なのは沖縄の米軍基地のおかげだとしたら、安全は共有するけど、そこの痛みは共有しないんじゃないか、原発の街で反対も賛成もいる。なんならおれの街は賛成の方が多いと思う。それで経済が潤ってる。でもさー地震の時、原発事故があった時の、道路は一車線とかで、逃げ場もなかったりする。訓練なんかしてない。あったらあったときやな、って地元のおじさんが言ってた。

それよりもいま街が潤うことだって。福島の事故があったとき、東京の人が「ここまで放射能が来なくてよかった」と言っていた。それもわかるけど、おれはなんだか辛かった。そんなこと言ったら、お前らの街は原発のおかげで飯食ってるくせに文句いうな、と言われる。そんな時は自己責任にする。お前が社会無責任なだけなんだよ。朝鮮学校って名前を出しただけで泣きながら喜ぶ人たちがいるんだぜ。

今回、相模原の障害者施設で殺された人たちの話もしたけどさすがに人が殺されてるのはテレビでは無理だった。でもさ、劇場でも客席みたら若い女男ばかりだよ、なんでもっと車椅子がいないんだ、笑いたいけどだれかが遠慮してきてないんだ。いつだってみんなの中にいない奴がいる。彼らは透明人間だ。声をあげても、誰かの顔がひきつる。漫才をやってて原発とか車椅子とかそんなワードを出したらお客さんの空気がガチッと固まる音がする。慣れてないんだ。日常で触れない言葉だから。それではずっとそれで苦しんでる人たちの声は誰かに届かない。

難しいおっさんがニュースで話しても聞いてるのは難しい顔したおっさん達だ。バラエティを見る層とニュースを見る層が別れてる。今年もナイナイさんやたけしさんの前ではやらなかった。それはカメラに向けて話したかったから。誰かの評価を欲しくてあの場に行くんではない。おれはそのバラエティのお茶の間にその透明人間達を連れて行きたかった。

アンタッチャブルさんが復活されると聞いた、ネットニュースではアンタッチャブルが復活する、と芸人達やファンが騒いでいた、アンタッチャブルとは日本語で絶対に触れてはいけないもの。日本にはアンタッチャブルだらけだ。嫌われ者のおれが漫才で言ってるんだから、おしまいだ。あんたたちのほうこそアンタッチャブルをおそれるな。それに触れろ。‬

‪テレビに出なかったら消えたと言われる。しかしおれの本業は漫才師だ。センターマイクの前がおれの仕事場だ。だからおれはいつでもどこかのセンターマイクの前にいる。おれからするとセンターマイクの前から芸人がテレビの方に行き、消えていってる。また劇場にきてくれ、おれは自分の言葉と考えでめちゃくちゃ笑わせるから。‬

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