如月千早のカバー曲「ハロー」を聞くまで10数年たっていた話

※かつてライブドアブログに投稿した記事を多少改稿しnoteに再投稿したものです。

 2021年に発売されたMA4で千早のカバー曲「ハロー」を聞いた時、千早に対して「よかったな」というじんとした気持ちになった。

 「ハロー」という曲のことは、今回のカバーまでは過去にMAD動画で使用されていることを含めて知らない曲だった。アニメ以降の過去のトラウマに区切りをつけた千早ならこういった曲をカバーなされるのは自然なことであるし、今回の新曲「Coming smile」や過去に出た「Just be myself!!」と近しい文脈のなかに位置づけられる曲だと思うけど、歌詞の解釈のハマりっぷりとこの曲がカバーされるという文脈に感慨深いものがあった。

 「ハロー」の歌詞は傷心して部屋にとじこもった【君】に扉の外から歌い手である【僕】が語り掛けるように語り掛けて最後には【君】は心を開く。といった歌詞でアニメでまさにそういった状況にあった千早が【君】に重なるというのは誰も彼もが思うところであろう。

 ここに語り掛ける【僕】はアニメでそうであったように春香だったり、千早が心を閉ざす原因となった亡くなった弟の優であったり、自分が最初におもったように、それらを経験した「今」の千早だったりといろんな見方ができるし、ツイッターを見てると色々な言及がある。どの立場をとっても千早の歌唱の優しい語り口の歌い出しには、いずれの想いも乗っかってきているようで、それくらい沢山の想いを受けて千早は歌を歌うことができると皆が思えるような認識が広がっていることがまずよかったなと思った。

 ひるがえって10年以上前の最初のMASTER ARTISTではどうだったか。カバーしたのは「鳥の詩」と「まっくら森の歌」で、後者では曲中の中で以下のような語りがあった。

 ふと気がつくと 私はひとりきり
何を求めているのかもわからず ただ夢中でもがき続けている
どこまでも広がるこの暗闇は いつしか晴れる時はくるのでしょうか
誰か私を 救い出してくれるのでしょうか

 原曲にないこのセリフが追加されていることに当時の千早のキャラクター性がどう位置づけられていたのかがよく分かると思う。(このときのカバーでは春香ややよいも曲中にセリフが追加されていた)

 もうどのくらい経つか分からないけど最初に初代で千早をプロデュースした時の印象として、弟の死と家庭の崩壊からの裏打ちされた妄執に近い歌へのストイックさをうまくコントロールし、過去のトラウマに向き合いながら徐々に信頼を得て成功に導く…といったのはその後のアイドルマスター2でも近いものはあるものの、初代ではそのトラウマの向き合い方が歌の世界での成功と引き換えに没入を深めて、かつPと徐々に共依存になっていくような関係の結び方に思えた。エンディングを終えても千早にとっての他の世界の広がりが限られたもののように思われて、その後が心配になるようなものであったことが印象深かった。

 まっくら森の歌のセリフでの「誰か私を救い上げてくれるのでしょうか?」への回答が当時はあっただろうかと考えると、当時のエンディングからはなかったように感じた。

 2007年に最初のMASTER ARTISTが発売されてから14年。アニメ以降ははっきりと春香のような立場ともしっかり関係を結ぶことができ、ミリオンでは先輩としての立場も描写されるようになった。先に触れた「Just be myself!!」をはじめて聞いた時には千早の曲でこれが出せた!と驚いたりした。ただ、こういった千早の描かれ方が徐々に変化するなかで、今回の「ハロー」を聞くまであの時の「まっくら森の歌」の回答について自分はすっかり失念していた。
 最初にまるっとCDを聞いて、2回目にカバーを聞いた「ハロー…」の歌い出しだったと思う。自分の心の中で当時の千早と「まっくら森の歌」のセリフが急に思い出されて鳥肌がたってしまった。14年前のカバー曲に託された想いが今回のカバー曲で返ってきたように聞こえた。14年の年月での千早のコンテンツ内外の変化がはっきりと千早自身の歌声で回答されていた。あの時の陰鬱で訥々とした「誰か私を救い出してくれるのでしょうか?」というセリフと今回の歌いだしの「ハロー…」がつながったのであった。

 キャラクターはコンテンツの中で描写され消費されるものである以上、物語の作り手と受け手の力の引き合いの中で、どのような過酷な目にあってもそれは立場や個性の中に押し込めることができる。もちろんそういう境遇の描写については、我々消費者にとってはキャラクターの魅力の一部を構成する大きな要素あるとは思うし、物語の受容している外側の知覚では、「これはこういうもの」と承知ではあるけれど、連続した物語の描写の中ではなくて、徐々にコンテンツが熟成するに伴いキャラクターの立場がよりよい方へと向かっているということを感じられたのが何より嬉しかった。困難な立場として描写され、救いを求めていた子が、時間の経過で他者へ手を差し伸べる歌を歌っている事実で回答されるなんて。ゲームやアニメのストーリーのなかでの救済ではなく、コンテンツが劇中の時間ではなく、実際の時間の積み重ねによってできたことで、この2曲の対比だけで歴史を積み重ねてきたことの成果の一つであるように思った。

 ともかくも「まっくら森の歌」から「ハロー」を連続で聞いた時に、なんだか遥か昔にはじめて会った時の千早がやっと救われたような気がした。