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【今日のnote】「煩悩」の棚卸し② 〜「煩悩」と「六道」の関係性についての気づき〜


 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、96日。


 これから毎日更新コラムの番外編として、僕自身の「煩悩(ぼんのう)」の棚卸しを始めていく予定です。

煩悩とは、人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。

 これは、僕なりの禊であり、精神の深部を歩む、冒険の記録です。

 けっこう酔狂なテーマなので、読者の皆様におかれましては「なんか変わったことやってるんだなあ」程度で、エンタメとして楽しんでいただければ幸いに思います。

 この企画を始めた経緯は、以下のコラムでまとめています。


 昨日までは、この「煩悩」の棚卸しは、単なるエッセイ集として、ただただ僕自身の恥の多い人生を書き綴っていこうかと思っていましたが、今日の明け方に、ふとアイディアが浮かび、少々、趣が異なってきました。


 僕が昨日、インスピレーションをもとに上記のコラムで書き出した、棚卸しすべき「煩悩」の見出しは、以下の6つです。

・承認欲求

・成功願望

・恋愛依存

・自己陶酔

・厭世主義

・超人思想


 そして明け方、「6」という数字から派生して、仏教の思想である「六道」のことを、ふと思い出しました。

六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。 六趣、六界ともいう。 六道には下記の6つがある。 このうち、天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という。


 ここで大きな気づきがありました。

 僕が昨日、インスピレーションのままに書き出した6つの「煩悩」の見出しが、実は、「六道」の定義する6種の世界に、以下のとおり、驚くほどすっぽりと収まることに気づいたのです。


・承認欲求 = 地獄道(罪を償わせるための世界。間がない、つまり絶え間ない苦痛だけの場所。無間地獄)

・成功願望 = 餓鬼道(餓鬼の世界。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい、餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例もある)

・恋愛依存 = 畜生道(畜生の世界。ほとんど本能ばかりで生きており、性愛に依存し、使役されるがままという点から、自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で、救いは少ない)

・自己陶酔 = 修羅道(阿修羅の住まう世界。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが、地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい)

・厭世主義 = 人間道(人間が住む世界。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。しかし、厭世主義とは、この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観であり、解脱は遠い)

・超人思想 = 天道(天人が住まう世界。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを天人五衰と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む)


 これは、非常に面白い発見でした。

 昨日、僕の中のインスピレーションに従って問題視した、6つの「煩悩」の見出しは、すでに仏教というシステム上で「六道」というプログラムの言語を与えられ、警鐘が言い伝えられていたものだったのです。

 やっぱり、先人が考えたシステムというのは、現代に生きる我々にも共通するものがあるんですねえ。


 しかも、最後に挙げた「超人思想」にあたる「天道」の仕組みの中には、「天人五衰」というキーワードが出てきます。

「天人五衰」は、三島由紀夫さんの絶筆である「豊饒の海」四部作の最終章のタイトルそのものです。

 ちなみに、僕のペンネームである「狭井」は、同じく三島由紀夫さんの絶筆である「豊饒の海」の二部作目「奔馬」とゆかりの深い、三輪山にある「狭井神社」から拝借しています。

 僕の現在の物書きとしてのスタンスを確立するにあたり、三島由紀夫さんの存在は、もはや切っても切れないものとなっていて、そこに共通するキーワードがあったのも感慨深いものがありました。

 なお、僕のペンネームである「狭井」を名乗ろうと決めた経緯は、以下のコラムで詳しく記載しています。興味のある方は、ぜひとも合わせて読んでみてください。


 ううん。

 いろいろなキーワードが次々と繋がって、これは非常に不思議です。

 僕の恩師からの助言である「煩悩を捨てろ」という言葉から、手探りで始めた、自らの「煩悩」のルーツをたどるこの企画ですが、仏教の教えである「六道」や三島由紀夫さんの作品との共通点を見つけたことで、俄然、面白くなってきました。

 これから、僕が書き出した6つの「煩悩」を、「六道」との共通点を交えながら、それぞれの見出しをテーマとした、全6編の短編小説として仕上げていく予定です。


 毎日更新を続けてきたnoteが、節目の100日目を迎える目前に、こうして「煩悩」の棚卸しをテーマに、インプロビゼーション(即興)的に創作することを思いついたのも、なんだか因縁めいたものを感じます。

 ひとつだけ言えることは、この毎日更新のコラムを続けていなければ、このような大掛かりな「煩悩」の棚卸し作業に辿り着くことは、おそらく一生なかっただろうということです。

 昨日までは、この棚卸し作業に恐怖すら覚えていた僕でしたが、今はもう、元のしなやかさを取り戻すことができたような感覚になっています。

 やっぱり、書くことって面白いですよ。書けば書くほど、次から次へと、想像もつかなかったことに気づく。だからきっと、やめられないんだなあ。


 とにかく、当たるも八卦、当たらぬも八卦。

 思いついたら、ええい、ままよ、でやってしまうのが吉。

 明日以降で、「煩悩」の棚卸しをテーマに、全6編の短編小説を書いていきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう。

 それでは。ぽんぽんぽん。

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