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【今日のnote】「忘却はより良き前進を生む」東京に出戻る準備をしています。


 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、111日目。


 特段、ご報告するまでもないことかもしれませんが、念のため、コラムにも書いておきたいと思います。

 2018年内で、これまでの地元三重県での地方在住フリーランス生活から離れ、東京に家を借りて、本格的な二拠点生活をスタートさせようと考えています。

 スムーズに話が進めば、10月中にも、東京生活を始めるかもしれません。住む場所はおそらく、祐天寺界隈(渋谷・中目黒方面)になりそうです。決定したら、またご報告しますね。


 ちなみに、二拠点生活とはいうものの、今後は基本的には東京で暮らし、1ヶ月〜2ヶ月おきに、ときおり、家族の様子を見に地元の事務所に戻って気分転換しながら働くといった感じになると思うので、ほぼ東京へ出戻りという感じになるかな、と。


 理由は、仕事の依頼、プライベートの人間関係ともに、東京に完全集中している状態のため、あえて地方に住んでいる意味を、あまり感じなくなってきたということです。

 最近は、三重県に住んでいるはずなのに、隔週で東京の友達と遊んでいたりして、もはや、自分がなぜ地元に住んでいるのか、よくわからない状態でした(笑)。

 それから、東京への移動や宿泊にかけている経費を、昨年の確定申告で把握したところ、なんと○○○万円近くも使っていたんですよね。

 そんなに経費を使っているなら、もはや住んだ方が効率的なんじゃないの? という結論に至りました。


 もともと、僕が住み慣れていた東京から離れ、地元の三重県に生活拠点をおいたのは、以下の3つの理由があります。

・不慮の事故で、再婚した旦那さんを失くした母親を助けるため

・東京での仕事が原因で体調を崩していたので、療養をするため

・フリーランスになり、環境に縛られずに働けるようになったため

 なお、当時の地方移住やフリーランス独立の詳しい経緯は、以下のコラムにまとめてあります。

 2017年にYahoo!ニュースにも掲載いただいたコラムで、僕のフリーランス生活の原点が、こちらの文章に詰まっています。未読の方はぜひともご覧ください。


 この2年ほどの間に、取り巻く状況は大きく変わりました。

 まず、母親は旦那さんを失くした傷から立ち直って、祖母と共に、自立した生活を送っています。

 僕自身も、体調をすっかり回復させて、母親と暮らしていた家を離れ、地元の生家を事務所に改装して、毎日ばりばりとフリーランスの仕事をこなし、最近では、月の半分ほどは東京にいるような暮らしになっていました。


 正直、こうしてまた、東京に出戻ることを具体的に検討することができるようになるまで生活が上向いたことは、本当に感慨深いものがあります。

 個人的な感覚だと、今回の東京へ家を借りる計画は、「凱旋」という言葉がふさわしい気がします。

 ちょっと大げさな言葉選びですが、東京を離れた頃を思い返せば、それくらいの意気込みがあるんですよね。


 2年ほど前に、地元に帰ってきた頃は、もう二度と、東京で暮らすことはないんだろうなと思っていました。

 当時32歳という年齢で、ベンチャー企業の事業責任者を退任し、東京を離れるということを決めたんです。

 20代ならまだしも、30代になってキャリアを捨て、生活基盤を変えるというのは、ほとんどの場合、後戻りはできない選択だと思います。

 なので、本当に、東京という街とは、一度お別れしたんですよね。

 住み慣れた港区の白金高輪から離れて、一転、地元の田舎暮らし。

「地方在住フリーランスに転向した」なんて言えば聞こえはいいですが、要するに「都落ち」したわけです。

 僕は、東京での暮らしに、一度は心身ともに打ちのめされました。



 ——あれから、2年。

 心身のメンテナンスも、経済的な基盤作りも、ここまで来るのは、決して簡単なことではありませんでした。

 しかし、毎日を真摯に生きて、フリーランスの仕事を頑張って、2年前の自分よりも数段パワーアップした状態で、東京で再び暮らそうと思えているのは、すごく嬉しいことですね。

 ほんとうに運が良いし、おかげさまで、めちゃくちゃ元気になったんですよ。

 良い仲間たちに恵まれ、良い仕事のパートナーの皆さんに恵まれ、家族とも良好な関係で、34歳にして、また東京で暮らすことができるなんて、なんてありがたいことなんだろうと、この文章を書きながら、改めて思っているところです。


 せっかく東京に出戻るのですから、地方にいるときのような隠遁生活に甘んじるのではなく、ちょっとアグレッシブに、直近の仕事以外でも、たくさんの人に会って、いろいろな挑戦をしようと考えています。

 今、実は諸々、面白いプロジェクトが動いているんですよね。

 まだ、具体的なアサインは決まっていないんですが、ちょっとこれから、僕の所属している環境にも、変化が生まれてくるかもしれません。こちらも、色々と方向性が決まったら、追ってご報告します。


 いずれにせよ、平成最後の年と、東京オリンピックを前にして、不肖34歳、新たな門出の準備をしております。

 今後とも、さらに躍進できるよう、力の限り頑張っていきますので、皆さま、引き続きご声援いただければ幸いです。

 毎日更新のnoteをいつも読んでくださる方は、引き続き仲良くしてください。初めましての方は、これを機会に、どうぞお見知り置きを。


 最後に、僕が好きなニーチェの言葉を引用して、今日のコラムを締めたいと思います。


『Blessed are the forgetful: for they get the better even of their blunders.(忘却はより良き前進を生む)』
—Friedrich Nietzsche(フリードリヒ・ニーチェ)—


 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう。

 それでは。ぽんぽんぽん。

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