太田土男著『季語深耕 まきばの科学―牛馬の育む生物多様性』
太田土男氏の「季語深耕」の第二弾が上梓された。
先に上梓された『田んぼの科学』の姉妹編かつ続編であると、著者が「あとがき」で述べている。
✳︎『田んぼの科学』についても、このブログで紹介している。 https://note.com/muratatu/n/nd1d57e607845
牧場、「ぼくじょう」ではなく「まきば」といえば次の唱歌「牧場(まきば)の朝」の歌詞を思い出す。
ただ一面に立ちこめた
牧場(まきば)の朝の霧の海
ポプラ並木のうっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘が鳴る鳴る かんかんと
もう起き出した小舎小舎の
あたりに高い人の声
霧に包まれ あちこちに
動く羊の幾群の
鈴が鳴る鳴る りんりんと
今さし昇る日の影に
夢からさめた森や山
あかい光に染められた
遠い野末に 牧童の
笛が鳴る鳴る ぴいぴいと
羊が出てくるこの歌詞の内容からすると、日本ではなく違う風土の国の「まきば」のことだろう。
本書の「まきば」には羊は登場しない。
熊本生れのわたしはこの広々とした景から、阿蘇の草千里の牧場牛馬たちが、のんびりと草を食むようすが浮かんだ。
副題にもあるようにこの書で論じられているのは牛馬が飼育されている「まきば」である。
本書によると日本では牛馬は労働力として使役するために飼育されていて、明治以降、特に昭和三十五年以降に本格的に畜産振興が進められ、今のように広大な牧場で飼育されるようになったそうである。
田畑、里山などの文化より比較的に新しい文化のようだ。
本書は第一章の「プロローグ」で、そういった牧の歴史、それにともなう日本の草原の成り立ちについて詳述されている。その一節を引用紹介する。
※
大きく農村を鳥瞰すると、ヤマ(林地)、ムラ(集落)、ノラ(田畑)の里山が展開し、少し入ったところに草刈り場、採草地があり、更に奥山に放牧地がある、これが嘗ての農村の標準的な景観配置でした。肉や牛乳を生産する畜産でなかったために、畜力が動力に変わっていく中で草原は衰退してゆきます。(略)しかし、特に昭和三十五年辺りを境に、畜産振興が勧められ牧草地(人工草地)も加わって草原は新たな展開を見せてゆきます。
※
国土の大半が森林で狭い平野部しかなかった日本は、こうしてあの広々とした「牧場」の景を手に入れたという歴史があったようだ。
第二章から第五章までは各章で春夏秋冬の牧場の姿と、そこに生息する生物との関連が、俳句例を引いて丁寧に述べられている。
最後の第六章は「馬のはなし」として、特別に馬について章立てされ詳述されている。
知っているようで知らないことばかりで、瞠目の一書である。
牧場という言葉で歳時記を引くと、代表的なものとして牧開、秋の駒牽(こまびき)、牧閉すが載っている。それを以下に転記する。
※
牧開 仲春
【解説】
春になって牧場に牛や馬を放つこと。春の訪れを実感できる事柄である。
秋の駒牽 仲秋【子季語】駒迎え/引分使/望月の駒/霧原の駒
【解説】
陰暦八月十六日の宮廷行事。各地の朝廷直轄の牧場から、優れた馬を選び出し都までひいてきたことをいう。後には信濃望月の馬がおもに差し出されるようになり、折からの名月ともあいまって広く歌にも詠まれた。
牧閉す 晩秋【子季語】馬下げ/牧帰り
【解説】
冬が来る前に牧場を閉鎖して、牛や馬を委託者に返すこと。牛や馬のいなくなった牧場には蕭条とした風が吹き渡る。
「馬下げる」は独立して初冬の季語として次のように書かれている。
馬下げる 初冬【子季語】馬下
【解説】
冬になって牧場を閉鎖して、牛や馬を牛舎や厩におろすことをいう。秋の季語「牧閉す」と同じようであるが、こちらは冬に入ってからの作業。
※
本書では各章で「牧場」に生息する生物を詠んだ豊富な例句が挙げられていて、確かに「牧場」の環境の中で詠まれてはじめて、生き生きとその生態が伝わるものであることにも瞠目せられた。
以下、特に強く印象に残った記述と俳句を少しだけ紹介する。
まず「山焼き」(野焼き)のことだが、害虫害獣駆除や、灰が地質改良になるためと思っていたが、それは誤解だった。
「草原を焼くと窒素は空中に飛散してしまいます。肥沃にする逆のことをやっているのです。火入れは肥沃化をある程度抑えることで草原の状態を維持する技術でもあるわけです。」
という記述を読んで、その科学的根拠を知った。放置すると雑草草原または雑木林になってしまうところ、それを防ぐためなのである。
草千里下萌えにはや牛放つ 里川 水章
熊本県出身で阿蘇の草千里には数度行ったことがあるので、本書に引かれているこの句には心が動いた。
本書で「草原」を次のように分類紹介されている。
草原
自然草地(野草地)
シバ草地(放牧地)
ススキ草地(採草地)
牧草地(人工草地)
放牧地
採草地
飼料畑
そしてわが国には「公共牧場」というものがあり、公的機関が管理主体となって、農家の牛を預かり、農家の労力負担の軽減や飼料不足の補完をしていることが述べられている。
春の闇牛千頭の重みあり 大串 章
また牛の飼い方別の種類が次のように紹介されている。
乳牛の雌子牛は放牧または舎飼い、雄仔牛は肥育に回し、主に舎飼い、搾乳牛は舎飼い。
肉牛は繁殖牛(子取り)は放牧また舎飼い、仔牛は月齢八ヶ月くらいまで放牧し、肥育に入り舎飼する。
親の股くぐる仔牛や草の花 西山 泊雲
他にもまだたくさん紹介したい記述があるのだが、これ以上は著作権侵害になるので、もっと知りたくなった方は、ぜひご購読されたい。
最後に太田土男氏の「まきば俳句」だけを抜き書きして紹介する。
雪渓や牛にまだらのあることも
牛追つて背籠に楤の芽をふやす
片栗花に離れて牛繋ぐ
新緑をゆく新緑になつてゆく
牧草を筋に刈りゆく鰯雲
四百の牛掻き消して雹が降る
大夕立ぶつかり合ひて牛歩く
転牧の牛の先導夏つばめ
牧柵の白き一条青嶺より
薄明の牛の水場に水芭蕉
郭公や牛のつけたる牛の道
雪割つて土の黒張る馬立場
サイロ開けば甘酸し雪の方一里
にれかめる牛を離れず月の宴
※「にれかめる」は牛の反芻のこと。
星のことよく知る人と草泊り
草原に食べ残されて野菊咲く
一眠りしても花野でありにけり
雲一つなし啄木鳥に弾みつく
団栗を拾ひ温暖化のはなし
遠吠の雪の気配に変りけり
猪の皮干してある桜かな
闘牛にたたかはぬ日や渚ゆく
どれも確かな経験と知識に基づく味わい深い句ばかりである。
ちなみにわたしが所属する「小熊座」の初代主宰と、現在の主宰の句も本書に引かれていて、そのリサーチの広さ深さに感心した。
蛇足だかそれを最後に引かせていただく。
佐藤鬼房の句
みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く
高野ムツオの句
ぬるぬるでつやつや被曝牛の糞
霜柱牛にもとより墓場なし
被曝牛被曝の泥に踏ん張れる
月光の分厚きを着て熊眠る
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