林みよ子句集『名古の月』
〈書簡 句集感想〉
冠省
玉句集『名古の月』、拝読いたしました。
黒潮の香溢れる地域色豊かな句集、堪能させていただきました。
地に足のついた暮らしのさまが見える、誠実な詠法、俳句に向き合われるご姿勢がうかがわれて共感しました。
韻文入門は学生時代の詩からのようで、それが林さんのうたこごろの原点にあるようで、どの句にも豊な詩情が立ち上り、読後感の味わい深さに資しているように感じました。
秀句揃いの句集の中から、特に強く印象に残り、共感いたしました句を、以下に揚げさせていただきます。その中のいくつかに感想文を添えさせていただきます。
「島太鼓」から
初秋や畑を歩き義父偲ぶ
米寿の手カミナリ切りの大根干す
この句で「カミナリ切り」ということばを始めて知りました。螺旋形に刻みを入れて縦に干すと、まるで稲光の光跡のようにギザギザの紐状になる切り方のようですね。八丈島の潮風に干し上げられた漬物が出来るのでしょうか。
冬なれば冬の心になりにけり
都会暮らしの人間はこのように、季節感を噛みしめて暮らしていませんから、はっとさせられました。
椎若葉押し合ひながら谷揺らす
豆汁といふ汁を恋ふ盂蘭盆会
豆腐ではなく、水に浸した大豆をひきつぶして乳状にしたものを入れた味噌汁で「ごじる」とも呼ぶそうですね。この句では「まめじる」と読むのでしょうか。わたしの郷里の熊本では「ごじる」と呼んでいて、落花生の生の実も加えていました。大豆の粗い舌ざわりと旨みが口内に蘇りました。
還暦の冬みしみしと通りけり
冬が「しみしみと通った」という表現に、身体の老いの実感がこもっていますね。
海原に魚飛ぶなり卒業期
青嵐三毛猫の子の耳尖る
ほとほとと咲きては落つる冬椿
冬椿の質量感が「ほとほと」という擬態語でも擬音語でもあるように詠まれていますね。
梅のえだ白の明かりの膨らみぬ
蕾が膨らむことを「白の明かり」が膨らむという詩的な表現に共感しました。
かたくなといふ荷を下ろす夏の果て
人集ひ花は清らか灌仏会
若葉中たたずめば我れも一つの葉
この自然との一体感の表現がすばらしいですね。
潮騒のどつと間近に五月闇
八方を海に囲まれた孤島の暮しでなければ、この「どつと」感と「闇」は実感できないでしょう。
垂れこめし雲は明るし青葉寒
雲が垂れ込めると、ふつうは周囲が暗くなるものですが、光溢れる八丈島では、そんな雲さえ明るく見えるのでしょうか。
身の内の水音を聞く小夜時雨
炭を焼き郷を守る人眉太し
素朴な島びとの風情が見えます。
黒潮の風噴き上げて鯉幟
本州でよく見かけるのは川を横断するように飾られた鯉幟ですが、黒潮の風に泳ぐ鯉幟は、より生き生きとしているように感じられました。
風薫る四万十川のやうな人
そんな人は本州暮らしの人の中にはいません。壮大でさわやかですね。
その流れ即興誌のごと春の川
義母われに笑顔賜ひて逝く五月
嫁先の義母との、慈しみあった年月が感じられて胸に迫ります。
秋桜地に伏してなほ優しかり
「洞輪沢」から
春山節ゆつたり唄ふ木の芽道
供花を置く疎開船の碑初ほたる
「末吉地区・東光丸の碑」の前書きのある句。東光丸は小型貨物船で、太平洋戦争末期の一九四五年四月十六日に八丈島から本州へ疎開する民間人や傷病兵を移送中に、アメリカ海軍潜水艦の攻撃を受けて沈没し、乗船者の九割近い一四九人が死亡したそうですね。本州の日本人の記憶からは消えようとしていますが、八丈島にはこうして句碑が建立され、毎年供花が手向けられ続けていることを、この句で知りました。この句自身が記念碑のようです。
与那国馬の歩みは静か雲の峰
「沖縄方言調査に同行二句」の前書きのある句で、同じ島文化の比較研究をされたことが推察されます。「静か」にその違いの発見が窺えますね。沖縄と八丈島には似ていて違う歴史の重みがありますね。
冬苺置かれて声を集めけり
人間の輪の中にある苺籠が見えます。
戦跡のある断崖や冬の靄
戦時下の機影めきたり星流る
回天壕出づれば沖は卯波かな (次の「黄八丈」の章から)
戦跡の回天壕や八月来 (次の「黄八丈」の章から)
太平洋戦争末期、東京湾の約三百キロ南に浮かぶ八丈島には日本軍兵士約二万人が駐留したといいます。島民の生活は一変し、六千人以上が本土に疎開したそうです。本土防衛の最前線と位置づけられ、米軍の侵攻に備えて各地に地下壕が掘られたといいます。旧海軍が開発した人間魚雷「回天」の出撃基地の遺構、鉄壁山地下指令部壕などがありますね。そんな過去の「遺産」が生々しく遺る島でもあるのですね。
白梅を天の花とも思ふかな
カルザスの深き吐息や鳥雲に
若い時期、詩を書かれていた林さんはクラシック音楽にも惹かれていらっしゃったのでしょうか。チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において二十世紀最大のチェリスト、パブロ・カザルス。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』の価値を再発見し広く紹介しました。そのチェロの響を八丈島の自然の響に重ねて詠んで斬新ですね。
梅雨茸は華やかにして孤独なり
秋の蚊のかすかに名乗り討たれけり
小さな命たちの孤独にも詩人の眼差しが注がれているようです。
「黄八丈」から
牛を引く遠き日の父頬かむり
大鮪釣り手の父を讃ふる子
雲動けば青空動く梅雨晴間
こういう壮大で爽快な把握と感慨は自然の中で暮す人でないと持ち得ないでしょう。
大夕焼雨情の詩碑の紅鼻緒
童謡『春よ来い』の歌詞に、「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもに出たいと まっている」を思い浮かべましたが、調べたらこの作詞者は相馬御風という人のようです。でもこの句は「紅鼻緒」で、雨情の歌詞の雰囲気にぴったりの句ですね。
終戦日ドラマの青空ぬけるごと
抜けるような青空の日だったと聞いたことがあります。万人、それぞれの感慨が去来する日ですね。
母白寿日々たぐるごと九月来て
白寿は九十九歳。「たぐるごと」に重みがある句ですね。
白粉花咲けば昭和の庭となる
溶岩原の縁群れ咲く磯小菊
黄八丈織り継ぐ島や風冴ゆる
唯一無二の風土詠ですね。
八月や沖縄の壕の闇深し
八丈島にもある戦跡の壕ですが、沖縄の来歴の暗さ重さにどうして意識が向かわれるようですね。
名古の浦薄柿色月を上げ
「薄柿色」で想像を掻き立てます。「名古の浦」という入江のことも。
その地平信じて立ちぬ広の忌
「大牧広三回忌記念俳句大会」の前書きのある句。師の思慕とその意志の継承を胸に誓われたのでしょうか。
切れて後戻らぬ平和広の忌 (「明日葉」の章から)
「第三回大牧広記念俳句大会」の前書きのある句。前句は希望を、この句ではその意志が踏みにじられようとしていることへの危機感を詠まれていますね。
「明日葉」から
石和咲いて風に解かるる牛の声
如月や夜更けに聞きし木々の声
大海をいかなる旅か鳥帰る
からだ張る案山子はずつとひた斜め
人間よアウシュビィッツの深き霧
ま向かふは一つの山や卒業す
玫瑰や生い立つ子らの声高し
以上、感銘句を引かせていただき、一部の句に少しばかりの感想を述べさせていただきました。
林みよ子様の、ますますのご健吟と、ご健康を祈り申し上げます。
草々
二〇二四年一月二五日 武良竜彦
林みよ子様
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?