見出し画像

黒田杏子最終句集『八月』


角川文化振興財団 2023年8月刊
 

 二〇二三年三月十三日、急逝された黒田杏子氏が遺した句が纏められた句集が上梓された。

 写真家で黒田杏子氏の夫である黒田勝雄氏のご意志によって、その編集が結社「藍生」の主要メンバーだった方たちに依頼され、刊行されたものだ。

 生前の黒田杏子氏が角川文化振興財団から刊行する予定で、句集のタイトルも「八月」、収録句数も三百数十句にしたいとして、その構想が「藍生」の高田正子氏にも伝えられていたという。

 高田氏を中心とする刊行委員会が立ち上げられて、ご遺志を組んで今年の八月刊行を目指して急発進した、と「あとがき」に記されている。

 句集の内容構成は、

 第Ⅰ章が「藍生」抄 二〇一三年九月から二〇二二年まで

 第Ⅱ章が「俳句」特別作品抄  二〇一四年九月号から二〇二三年三月号まで、の二章立になっている。

 

 ご逝去後、俳句総合誌ではたくさんの特集記事が組まれた。

 この句集についてもたくさんの評が掲載されることになるだろう。

 以下にわたしが特に感銘を受けた句を揚げて、紹介の一助とさせていただく。

 

第Ⅰ章 「藍生」抄 から

 

 かがやかに記憶の廃墟花の雲

 沈黙は金ですか蓮ひらきつぐ

 邯鄲は母鉦叩それは父

 露の玉寂かに汝を敬ひぬ     ※アビゲール・フリードマン、

                  黒田杏子の百句英訳と鑑賞の前書き

 とほき世の杳き泉をひとり聴き  ※収穫 杉田久女句集の前書

 斃れたる後の月夜の一遍忌

 夢にきし阿修羅の還りゆく月夜

 初夢の奥へ奥へと杖持たず

 はるかよりきし花びらのかの世へと

 人寂か樟の新樹の雨上り        ※石牟礼道子をケアハウスに
                     訪うたときの句と前書

 冬麗のかなし齋藤慎爾また      ※句集『陸沈』のひとに、の前書

 花巡るいつぽんの杖ある限り

 月に問へ生きて真澄の月に問へ

 狐火の列立ち止まる夢の奥

 言霊の野面節分草の花

 亡き人と語るべく花巡りきし

 螢火となり還りし兄のこゑ

 兜太詩語銀河しづかに遡り

 それぞれに生きて一日を花の句座

 写真家と俳人の窓流れ星

 母の日や母の手紙に杏子様

 父の日や父の手紙に杏子殿

 しづかしづかほたる流れくる夢は

 ゆつくりと急ぎながらへ花を待つ

 

第Ⅱ章「俳句」特別作品抄 から

 

 母の日を父とならざる汝と祝ぐ

 父の日を母とならざる我と祝ぐ

梅雨上る男の作る朝ごはん

道子詩語兜太詩語月疾走す

流離(さすら)へとなほ呻吟(さまよ)へと飛花落花

底知れぬ孤心眼光一遍忌

愛の俳人鬼房の終戦日

三月十日炎ゆる人炎ゆる雛   ※首都東京は、の前書。最終句。

        ※      ※

 

 武良竜彦 ひとことメモ

 

もっとも好きな句はといわれたら、もう断然次の句。

 

 流離(さすら)へとなほ呻吟(さまよ)へと飛花落花

 

 ルビの言葉の冴えにも共感したが、この句の心情がまさしく黒田杏子氏の真髄ではないかと思うからだ。

 

 亡き人と語るべく花巡りきし

 

 花の巡礼と一遍上人の巡礼、この二つに通底する思いが、この句に象徴的に表現されているように思われる。

 石牟礼道子の「もの」「かたり」のすべてにも通じる、自分の魂の交流を可とする魂たちへの巡礼とでもいえばいいだろうか。

 黒田杏子氏の作風は、たんたんと日常詠をまるで歌日記のように詠むことだが、ただの身辺雑事の記録というものとは異質の次元で、俳人魂を抱えた者としての矜持というか、姿勢というものが示されているように感じる。

 そんな句群の中に、先に引用した深みのある、ずしりとした手応えのある句が要所要所に配されていて、はっとさせられる。

 

 はるかよりきし花びらのかの世へと

 

 かくして、この花と魂の巡礼俳人は、かの世へと旅立たれた。

 杏子先生、もう杖は要りませんから。

 合掌。


                ※            ※

黒田勝雄様へ 私信転載

謹啓

 黒田杏子先生のご逝去に接し、深い喪失感の中におります。

 お二人ぐらしでした勝雄様の、何をもっても代え難い深いご喪失感を思いますと、ことばがございません。

 わたくしの知人友人、俳人たちの中で、黒田杏子先生に深い恩義を感じている人の数は、十指に余ります。

 俳句界の先輩俳人を正しく評価し、後輩たちを励まされて来られました黒田先生が逝去されて、俳句界の垣根を超えた融和の機会が失われたと感じている俳人は、わたくしひとりではないと存じます。

 何も恩返しができず仕舞だったことが悔やまれてなりません。

 鑑賞文を書きましたので、黒田杏子先生のご霊前に添えていただけましたら幸いに存じます。

 ご自身の写真家としてお仕事を全うされながら、杏子先生を支えつづけられた勝雄様にも、畏敬の思いを抱いております。

 句集の中で、お二人の精神的な暮らしぶりのうかがえる印象的な句を揚げさせていただきます。

 あさがほや六十年をふたり棲み

 本郷弓町あさがおの瑠璃の坂

 写真家と俳人の窓流れ星

 おだやかによく睡るひといなびかり

 母の日を父とならざる汝と祝ぐ

 父の日を母とならざる我と祝ぐ

 梅雨上る男の作る朝ごはん

 わたくし夫婦も子どもに恵まれず、二人だけで生きてきましたので、お二人のお気持ちには共感すること多々ございます。

 謹んで黒田杏子先生のご冥福と、勝雄さまのご健康をお祈り申し上げます。                       謹白

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?