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『飯田秀實 随筆・写真集 山廬(さんろ)の四季 蛇笏・龍太・秀實の飯田家三代の暮らしと俳句』

 

                                                            (コールサック社2022年10月刊)
目次


    飯田秀實氏は飯田龍太の長男、飯田蛇笏の孫。
 山廬とは、この三代が住み暮した家のことで、「俳句の聖地」と呼ばれている。
 その場所を守り、管理している秀實氏は随筆で次のように書いている。
           ※           ※

3 厳冬期の山廬
 甲府盆地の東南に位置する笛吹市境川町、山廬がある小黒坂は標高三五〇メートルから四〇〇メートルのところにある。山廬後山に立つと南アルプス、八ヶ岳、金峰山、大菩薩嶺と周囲の高山を一望できる。まさに「四方に関ある甲斐の国」である。とくに寒さが一段と厳しくなる一月、二月は甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳の長く裾を引く間に北アルプスを遠望できる。
 しかし、八ヶ岳と南アルプスが雪雲に覆われた日は冷え込みも一段と厳しくなる。午後からは乾いた冷たい北風が吹きつける。所謂「八ヶ岳颪」である。
(略)
           
                                    ※           ※

 このように三廬を取り囲む自然と、飯田家三代の暮らしが気品のある文体で綴られている。
   飯田秀實氏の随筆一篇と数点写真、それに蛇笏と龍太の句が見開き二ページにレイアウトされた、豪華な造本である。
 
  見開きぺージのレイアウト


 
 「あとがき」で秀實氏は次のように述べている。
       
                               ※           ※
 今年は蛇笏歿後六十年、そして蛇笏、龍太と続いた主宰誌「雲母」が終刊して三十年になります。この大きな節目に、二人の俳人が生涯を過ごし、多くの方々から「俳句の聖地」と呼んでいただいている「山廬」について、その自然や環境、そして風土を知ってもらう一冊になれば幸いとの思いで出版に踏み切りました。
       
                              ※           ※
 
 出版に至る経緯に、黒田杏子氏が深くかかわっている。
 この随筆の元になっている文章は、黒田杏子氏が刊行している同人誌「件」に連載されたいたもので、同誌への寄稿を飯田秀實氏に誘ったのも黒田杏子氏である。
 それにはもっと遡る飯田龍太との経緯があるのだ。
 黒田杏子氏が本書に寄稿している「山廬と私」という文章から、その経緯を語った部分の以下に摘録する。
       
                               ※           ※

 私の生涯の師は山口青邨。四十三歳で出した第一句集『木の椅子』に飯田龍太先生ほかの選者の方々が眼をとめて下り、俳人協会新人賞に加えて、現代俳句女流賞をダブル受賞、突如俳壇にデビュー。龍太先生から「山廬に一度いらっしゃい」との事で参上。(略)先生は「女流俳人などという名称はどうでもよい。(略)こののちも俳句に打ち込まれ、本格俳人をもざして下さい」と。(略)「山廬」守となられた秀實さんの役に立つ人間になることを私はこの日決意しました。同人誌の「件」にも参加して頂きました。(略)写真撮影の腕前が抜群な上に、龍太先生ゆずりの文章家である秀實さんに『山廬十二カ月』の刊行を提案。(略)

      ※           ※
 そうして、黒田杏子氏が出版に至る手配をして、本書刊行に至ったのである。
  
 三代の「山廬」の妻について書いた随筆も掲載されていて、飯田家の苦難の歴史の一端も窺がえて、より深い読後感を残す書になっている。

 本書で引かれている、甲府盆地の山の暮らしと周辺の自然が詠まれた蛇笏、龍太の句群を読み、稲作関係の句が少ないことに気がいた。「山廬」がある山側の地形は、水田に向かない地区で、主な産業は養蚕だったのだ。
 蛇笏、龍太の句が纏う山の霊気のようなものは、このような風土で生まれたものであることも、よく解った。
 蛇笏・龍太俳句愛好者に限らず、一読の価値のある書である。


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