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川口真理句集『海を醒ます』 

   

青磁社 令和五年九月刊

 「あとがき」も、他の人による「跋文」など、解説のようなものが一切ない、純粋に俳句だけの句集である。

 だから、鑑賞に当っての予備知識も与えられないかわりに、予断なく作品と向かい合うことを促す、潔い編集姿勢である。

 巻末に著者略歴だけが掲載されている。

 それを摘録する。

     ※

昭和三十六年 兵庫県神戸市生まれ

平成十三年  「ゆう」入会 田中裕明に師事

平成十七年  第十九回俳壇賞受賞

「ゆう」閉会

後、中嶋鬼谷代表 「雁坂」 大牧広主宰「港」を経る

平成二十六年  第一句集「双眸」上梓

平成二十九年 「港」退会

平成三十一年  四月、同人誌「禾」を中嶋鬼谷を代表とし、折井紀衣と共に三人で創刊。

令和二年 九月、「禾」に藤田真一が同人として参加、現在に到る。

      ※

この来歴から、知る人ぞ知る実績と実力のある俳人であることが判る。

『海を醒ます』という句集名が暗喩的で魅力的である。

この星の海はまだ何かに覚醒していないのだ。

作者はそれを覚醒させようとしている。

海は何を自覚していないのか。

そもそもその海とは何か。

その問いに挑んでいるのが、この句集の俳句だということだろう。

四章構成で、各章の章題は次の通りである。

 蝶の息

 隠し階段

 月恋ふこころ

 気性

 この章題も謎めいている。

 管見ではあるが、深く印象に残った句を揚げて紹介する。

〇 蝶の息

 喋々やあまたの傷を抱く家

 夜をゆきし木のありにけり春ショール

 のぞむなら蝶の息よりかるき弦

 どの道も大き巣をもち天の川

 道と道しづかに別れ原爆忌

 衣かづき百年前の雷を聞く

 どの椅子も飛ぶ鳥待ちぬ久女の忌

 鳥たちにかなしみの部屋夏の暮

 子供らのごつそり抜けし秋の闇

 魂のあかるさ小鳥の重さかな

 私淑とは四方にひろごる朝の霜

 冬の月古きかばんのこゑ澄みぬ

 一瞬をなだるる銀河冬の虫

    ※

 章題の語彙を含む句、

  のぞむなら蝶の息よりかるき弦

 という表現に、繊細で研ぎ澄まされた感性で、この世界を感受しようという作者の意思を感じる。余人なら何ごとでもなく、何も感じないで素通りするような世界の事象の中に、実はわたくしたちの認識の海を覚醒させる真理があるのではないか、と作者は耳を澄ましているのだろう。

 そうやって心象造形された世界は実にドラマチックで充実しているように見えてくる。

  一瞬をなだるる銀河冬の虫

は、冬銀河の傾きの動的表現と解するのが妥当だろうが、わたしは作者のこの高感度の感性に照らして読むと、超新星爆発のような、星々を生む星雲の生成流転のさまが感受されている句のように思われてしかたがない。

〇 隠し階段

 春の蚊の春の魂へと降りにけり

 虫の闇風に入る道見えてきし

 海中のごとく焚火や漱石忌

 長き長き隠し階段鳳仙花

 虫のこゑ四肢のもつとも尖るとき

 わがための席ひとつあり白粉花

 一葉忌小鳥ののどの渇きをり

 父のほか誰も見えざる冬の園

 身に点す露のありけり去年今年

    ※

 伝統俳句派にも、社会性俳句派やまして前衛俳句派にも、決して詠めない心象造形俳句で、単純な比喩に終わらない深く屈折したシンボリズム表現の俳句に感じる。

 虫や花たちは伝統的な美意識で眺め詠まれることを拒否し、この宇宙の中の一天体の中に生起する命の深いところから、認識の覚醒の波音を響かせているようだ。

〇 月恋ふこころ

 うららかや涙触れ合ふことのなく

 どの家も日に疲れたり万愚節

 グラジオラス心乾きゆくを待つ

 雷短か触るるものから消えてゆき

 掃く音と掃かるる音と秋深き

 鶴来る読まれて文字のしづまりぬ

 どの窓も深く覚めけり冬のいろ     ※「夫の忌日」の前書き

 光らざる星々匂ふ厄落とし

    ※

 この章の句群からは、何をもっても癒し難い、ひりひりするような寂寥感のようなものを感じたが、「夫の忌日」の前書きのある句、

  どの窓も深く覚めけり冬のいろ

の表現でその原因の一端に触れたような気がした。

 同時に、この俳人の感性では、それだけでは済まないで、命というものの根源的孤立感と寂獏の深い表現へと造形されているように感じた。

この無限なる闇の中で独り「醒めて」いることの寂寥感を受け止めた。

〇 気性

 おのずから椅子は遥かへ春の風

 しまふたび鍵のとけゆく雲の峰

    ※

 宇宙も世界も、その中の命も謎そのものである。

 近代合理主義的な、解かれて善処するための謎ではなく、謎であることがその存在証明のような謎がある。

  俳句はそこに尽きせぬ詩情の源があることを自覚する文学ではないだろうか。

  だとすると「海を醒ます」という作者の詩句の指し示す謎は、認識の詩であるわたしたちの俳句世界の、そのことへの覚醒ということでもあろうか。

椅子はそこに「在る」だけではない。

遥かなるものを内在してそこで風を呼んでいるのだろう。

文明の扉を開いた科学の鍵はすぐ錆びつく。

  そんな鍵など無用の世界へ、わたしたち俳人の認識の海面を覚醒させようと、句集『海を醒ます』という、認識の一行詩集は、その謎の只中にそっと置かれているかのようだ。


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