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20代の10年間を散らかしてみる


そろそろ20代が終わるらしい。

日常は続くし、誕生日の1日もいつもと同じ長さの日にすぎないので、何かが終わるわけではないのだけれど、区切りというものみたいなので、やんわりと20代を振り返りつつ今考えていることを散らかしておこうと思う。

普通はこれまでをまとめるんだろうけど、散らかしてみたい29歳の気分自体を表すことも、後々見返してそれはそれで当時が蘇るきっかけになることだろう。


「30歳ってもっと大人だと思ってたよね、」的なことを言われたりするけど、わたしはあんまりそういう感覚になることがない。

その歳でどうとか、未来の自分のイメージに興味がないからなのかもしれない。年相応なのでは?と思うし、そうではないとも思う。今も、1年後にどうしてるかも特にイメージが湧いてないし、ライフプラン的なものは何もない。

振り返ってみると、広い世界があることを知って、やどかりみたいに生きた20代の10年だった。



小学校〜高校の12年間、新潟に住んでいた。

「地元どこ?」と聞かれたら新潟ですと答えているけれど、そんなに地元に思い入れがないのが正直なところ。
小学校に上がるタイミングで引っ越して、知り合いは1人もいない状態からスタートしたことで、新潟という地に「お邪魔してる」感覚が12年間ずっと拭えなかったのかもしれない。
図々しく生きてはいたからお前がいうなよと思われるかもしれないが、ここがわたしの居場所だ!みたいな感覚になったことがないなあと、今になって気づいた。



大学で関東圏に来て、なんだか世界は広いらしいということにうっすらと気づきはじめ。
大学でもそれ以外の場所でも、なんだか今まで見たことのない人間たちに出会ってびっくりし、初めて海外旅行に行って自分のあたりまえが通用しないことにびっくりし、そのびっくりする感覚がどうやら心地いいことを知り。
のめり込むようにいろんな場所に行くようになった。
極度のめんどくさがりで、究極自分の感情が動くことすらめんどくさくて感情表現も最小限だった自分が、そんな瞬間を求めて自分からどこかに行くなんて、それまでは全く考えられなかった。


そして、心動かされたこのゾクゾクする快感を、そのまままるっと誰かに伝えたくて、写真を撮るようになった。
写真を撮る理由は他にもたくさんあるけれど、多分これが1番の理由だなと、これも最近気づいたこと。



自分のことをめんどくさいと形容するのは、ある意味逃げ道としての保険だった。めんどくさがりだから、やる気が出なくても仕方がない、と。あと、体力に自信がなくて、負な感情が続くと体力的に辛い自分を守るためでもあった。運動音痴だけれど部活で身体動かしたりして、今ではだいぶ体力ある方だと思うけれど。だから、マイペースながらも中学校で部活を続け、さらに高校ではノリで運動部に入ろうと決めて続けた自分を褒めてあげたい。



そうそう、どうしてやどかりと称したかというと、地元にいた時と同じで、自分のいる場所や所属に対しての執着がなさすぎて、そこに定住するという考え方が皆無に近く、ふらーっと渡り歩いているから。

群れるのが苦手だし、新しいものがすきだし、なんかこう、居心地が良くなってくるとそれはそれで居心地が悪いというか、生活圏の全てがコンフォートゾーンに入ると焦るというか、そういう感覚に素直に従うと、同じ場所に何年も居られないことが多い。実に1年半で5回の引っ越しをしたり、業界をまたぐ転職の常連だったり、場所、仕事、人間関係の環境を変える方が苦ではない。でも、飽きっぽい性格に磨きがかかり、最近はもはや環境を変えることにも飽きてきて、そんな日が来るのかと自分で驚いた。環境を変える以外の解決方法もいつの間にか身につけられたということなのかもしれない。


そして、こうやって30年近く生きると、10年以上の付き合いになる大事なお友だちもちらほら増え、肩の力を抜いて昔話をするだけの穏やかな時間が流れたりして、長く関係性を持つっていいなあと気付かされることもある。


時間が経過することは、何かの終わりに近づいている漠然とした怖さがあった。だから、無駄なことは嫌いだし、1番近道がすきな生き方だった。でも、時間は消費するだけではなく重ねることができる、つまり今にとって有益な過去にすることができるとわかると、遠回りも重ねれば近道からは見えない景色が見えるし、年齢というラベリングがひとつずつカウントされていくのも悪くないなと思ったりする。



ラベリングの話をすると、自分と他人、外側と内側、境界線にすごく興味がある。

「新潟県出身29歳、トラベル系インスタグラマー兼会社員。すきな食べ物はラーメン、トラベルホリックですが荷造りは苦手です」

これの、どこまでが自分で、どこからが自分じゃないのか。たとえば新潟というものがなくなったら、自分というものの総量がひとつ減るのか、そうではないのか。どこまでが自分の内側にあるものなのか。

「この人はこういう人だ」と思われたら最後、その認識をアップデートすることは難しい。では、その人から見えている自分は、果たして自分なのか?それともその人の思考が生み出した虚像なのか?
自分って、意外と制約なく、自由に大胆に捉えてみても、それはそれで自分にできるんじゃないかとそう思う。



括り方ってすごく大事だと思う。この星は、ニュートンが発見した重力というものに始まり、植物と動物、みたいな大きな生物の括りがあったり、言葉でコミュニケーションをとったり、その他たくさんの世の理があるけれど、それを発見した人が全然違う括り方をしたら、多分違った世の中だったし、私という人間が人間だったのか、動物だったのか、こうやって洋服を着て言語を話していたのか、それすら違う未来もあっただろうなと。今、何かを定義することで、おそらく後世に見えなくなってしまうものが生まれるというのは、これまで人が進化してきた過程で幾度となく起こったことで、それを恐れすぎるのもナンセンスだけれども、その現象を知っておくのとそうでないのは雲泥の差なのではないかと思っている。


これまでのわたしの原動力を一言で言うと、「嫌なこと」だ。嫌なことをしたくない、その気持ちにつき動かされてきた。大学受験でも、受からなかった場合のネガ要素を自分に言い聞かせ、「ね、嫌でしょ?嫌なら勉強しなさい」と自分を脅す日々。新卒で入った職場を辞めるために、まず入職初日に同期に向けて高らかに辞めます宣言をし、次の目処が全く立たないまま退職という既成事実を作って背水の陣を敷いた。その場所に居続ける自分が嫌だったから。
世の中には実にいろんな原動力があるなと思うけど、今までの私にはこれが意外とあっていて、嫌なことを避けることで相対的にいい方向に向かっていった。たぶん、大層なやりたいことなんてないけど、なんとなくこっちの方がいいとかこれは嫌とか、譲れないラインの主張が強くて、それがそのまま行動指針になっている。そんな進み方。
たまたま今日、祖母が昔いろんな企業や役所で働いていた話を初めて聞いていて、嫌だったらまた違うところに行ってなんだかんだうまくやるとか、プライベートは海外旅行とか習い事とか当時からすきなことしまくってたとか、全くもって自分の話を聞いているかのようで爆笑した。身体が悪くなってもバイタリティのある祖母やその娘である母、わたしはどうやらここから血を引いたらしい。



こうやって文字を書くことに、昔から憧れがあった。映画や漫画より、想像力が掻き立てられる小説がすきだし、色が見えたり音が聞こえたりする文章がすきすぎて胸が苦しくなる。小学校の頃の夢は小説家だった。変な完璧主義で、一本も書き終わったことがないけれど。
もっとものを書くことをしてみたいし、書く、写すことにとらわれないアウトプットを試してみたい。今もそうだけれど、自分の思考が透けて見えることにすごく恥ずかしさを感じるのに、こうやって何かを残したがる、天邪鬼なのかなんなのか、その真意はまだわからない。


生まれてこのかた、すごく、愛されてきたなと思う。育てられてきた環境もそうだし、いい人達に巡り会えてきた。これまでとっても運が良く、同時に運が良くて然るべきだという自信がなぜかある。そこに根拠はなくていい。世の中で決まっている常識とラベリングに辻褄を合わせた根拠と呼ばれるものがたとえなくても、自分の中に自信があることに変わりはないから。



月並みな表現だが、この30年は家族はもちろん周りの人なくしては生きてこれなかった。
人を思いやること。それは、いつだって自分の想像の及ばないことがあると心得ておくことだと思う。あの子には、わたしの知らない事情があるし、わたしにはないいいところがある。全てがわかることは不可能だから、その前提があることが最大限人を思いやることなのではないかと思っている。


25歳くらいまで、自分のことを冷たい人間だと思っていた。人に優しくすることができない人なのだと。なんで冷たいと思い込んでいたのかはわからない。誰かにそう決めつけられたのかもしれないし、人と比べて自らそういう気持ちになったのかもしれない。そんな自分を諦めるのと同時に、いつも悲しかった。だから、無意識に大切な人たちのことを全力で考えている自分に気づいた時、嬉しかったし、ものすごく安堵した。人間である資格をようやく与えられた気がしたから。コロナ禍という特殊な時期に、パーソナルな空間や時間の形が変化し、自分自身に気づくことが多かった。インドに一人旅しなくても、自分探しはできる。もちろん、インドにもいつかは行ってみたいが。


見切り発車で書きはじめたnoteが、割と散らかってきた。こうやって文字として外に散らかせば、また別のことを考えられるスペースが空く。



30代の抱負は特にないが、おんなじようなあゆみで進んで、何かが少し変わって、何かが何も変わらないんだと思う。気分屋だから、自分が住んでる星とか大気の組成とか、根本に対して疑いにかかることもあるだろうけど、たぶん「自分」は辞めない。いくら飽きっぽくても、これから生きられるたかだか残り70年くらいでは自分自身に飽きなそうだ。まあ、そんな先のことはわからないけれど。



よし、ではまた。

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