ハリウッドのゴジラ

■ハリウッドでもゴジラは製作されている。他所の国の売れているタイトルを自国で製作するのは日本のほうが盛んだ。キングコングやスパイダーマンなど知らない人は不老不死になって太陽に突入して永遠に燃え続けていればいいです。そのくらい日本が独自の雰囲気で製作しています。アメリカからしたら日本のスパイダーマンもキングコングもあんなの認められないと言われても仕方がないエキセントリックっぷりだ。それに比べたらUS版のゴジラは良心的だ。その時代ごとに予算をかけて及第点以上の作りになっていると思う。

▲GODZILLA(1998)
監督の名前をとって、エメリッヒ版ゴジラと言われる。
ゴジラの子どもが多数登場する。2019年6月現在、一つの作品で一番たくさんゴジラが登場するともいえる。
クリーチャーに追いかけられる、アメリカのクリーチャーものならお馴染みのシーンとはいえ、ゴジラから受ける絶望をわかりやすく描いている。日本のゴジラシリーズでゴジラによる絶望を描くことは少ない。
見ていっているのか見ずに言っているのか不明だが、とにかくこの作品とこれに登場するゴジラは酷い言われようだ。日本のゴジラシリーズでこれより無様な作品やゴジラデザインはいくつもある。こんなのゴジラじゃないと言うなら、ゴジラの息子やゴジラ対メガロなどだって歴史から消してほしいくらいゴジラじゃない。サバ食ってるからダメだじゃない。日本ではエビとも戦っているのだ。どうしようもないなら日本のほうが更に底を打っている。
FA-18のミサイルで沈黙。映画のラストではイメージ的に卵から孵化する。

アメリカのスタンダードなパニック、あるいはディザスター・ムービーなので、うっかり見ても問題なし。

▲GODZILLA ゴジラ(2014)
監督の名前をとってギャレス版ゴジラと言われる。モンスターユニバースという、アベンジャーズみたいなものの一作になり、アメリカでの独立したシーズがここから始まる。
ゴジラ対ラドン。
おおよその発想は平成ガメラシリーズ。ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃とだいたい同じ。違うのはハリウッドで作っていることと、お金がいっぱいあることだ。
最初のほうの扉を締めるシーンが中盤でも繰り返される。だから最初のシーンはよくあるステロタイプなものとして流し見しないほうがいい。かといって深い話でもないんだけどね。
ゴジラよりムートーというこの映画のオリジナル怪獣に視点が向いてしまっていて、ゴジラだけで十分なのにゴジラだけじゃない、複雑さを持った映画なんだといいたげな、ゴジラ映画おなじみのよせばいいのに余計なことをやってしまっていると思う。ゴジラだけで十分大変な災害だ。ただ、大きいだけが災害の表現になっている点も日本版にはない部分かと思う。全高が100メートルとか1kmとかスペックでなくてね。視覚的に巨大である演出をやろうとしている気持ちの問題。
日本版であまりやっていない演出でかっこいいのはゴジラが海を泳いでいるシーン。剣山の山が海を移動しているようで大変格好が良いです。
トランスフォーマーの実写映画などもそうだが、軍隊のいる国とそうではない日本の超法規的な物体の存在への対応がそのまま物語の中心になっているね。中心ていうのは物語の絵面や進行など。テーマではなくて。
だからゴジラと直接立ち向かっている組織が何かはゴジラ映画の中で重要だと思っている。格好つけばなんでもいいって話じゃないんだ。
プールにゆっくり入る感じで自主的に海へ帰る。

モンスターユニバースを追いたいなら取りも直さず見よう。

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