2023年1月の群れ研究所・沸騰速報
久しぶりに議論が白熱していたので簡単にまとめます。
きっかけはこちらの動画。田舎暮らしは大変だという内容。「都市部のような付かず離れずの関係は許されなかった。郷に入るか出るかの二者択一だった」とのこと。
田舎暮らしってどう?
田舎暮らしには様々な因習、しきたり、ならわしがあって嫌だよね、という話になりました。
因習が強いと流入が減る
流入が減ると人間関係が固着する
すると流入が余計に減る
限界を突破すると古参もいなくなってまっさらになる
限界突破集落なら安全に移住できるよ! という話でしたが、もはやそれは移住ではなくサバイバル生活では・・・?
因習はなくした方がいいの?
因習は悪いこと、みたいに感じますが、必ずしもそんなことないかもしれません。因習があるからこそ長いこと村が維持されてきたのも事実です。
インターネットコミュニティでも、ルールを破ると出禁にされたりするので、実はあんまり変わらないのかもしれませんね。SNSでも、ルールが明文化されてるときもあれば、暗黙のルールもたくさんあります。
都会と田舎の違いとは?
都会には田舎のような因習があまりないのは確かです。それだけ福祉サービスが充実している、働き口が多種多様に存在する、人がたくさんいる、娯楽がたくさんある、ということなんだと思います。
つまり多様性が重要視されるいまの時代は、都会を求めているんだなぁと感じられますね。でも心の底では田舎の方が居心地がよいと感じているのも事実でしょう。
これは「赤の他人である自分でもすんなり受け入れてくれる、多様性を受け入れる都会がいい」「でも自分は自分と価値観の違う多様性を受け入れたくなくて居心地のよいルールで生活を守りたい」という矛盾するわがままを述べているだけですね。
「田舎は因習が強くてよそ者を受け入れてくれない!」と怒る人は、だいたい「自分の中にあるマイ因習が強すぎてよそ者を受け入れようとしない」というブーメランになっているのかもしれません。
田舎に移住できる人は、都会でも問題なく他者を受け入れてコミュニティを作れるので、社会性強者は場所を選ばないんですね。
因習から契約へ
社会性弱者、いわゆるコミュ障は、田舎でも都会でも生きづらいという結論になってしまいました。どうしたらよいでしょうか?
ここについて答えは出ていませんが、個人的には明文化すること、だと思います。田舎の因習って基本的には暗黙の了解で成り立っていてるから、空気を読まないといけない。コミュ障やアスペには難しいことです。だから明文化されているものだけ守っていればいい、という方が分かりやすい。
これって文化背景の異なる多様性を受け入れるときに必要になることでもあるので、共通の常識を持っていないことが前提だから、なんでも明文化しないといけない。それが因習を契約っぽくして、生きやすくなっているんだと思います。
やっぱり多様性を受け入れてくれる社会がコミュ障にも助かるわけです。しかしコミュ障たちは、そうした明文化された契約を楯にして、「こうやって書いてあるのにお前は間違っている」と正義をふりかざすので良くない。せっかく多様性を受け入れるための契約で多様性を排除しようとするから社会性がないって言われるんだゾ。
明文化の道具としてのお金
人に何かをお願いする、持ちつ持たれつの関係というのは、そこにかかるコスト、贈与、ハウが見えません。空気で察する必要があります。これは文化のことなる人、コミュ障にはとても難しいことです。
こうしたコストを見える化したのがお金です。だからなんでもお金で解決できるのはコミュ障にとってとても助かることなんですね。
雑なまとめ
みんなマイ因習が好き。
因習を明文化したのが契約。
贈与を明文化したのがお金。
明文化されてるとコミュ障はうれしい。
でもコミュ障は社会性弱者で、他者の因習を受け入れられないので、結局どこに行っても生きづらい。
社会生強者は、他者の因習を受け入れられるので、都会でも田舎でも生きていける。
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