成金から下流老人に落ちた父が倒れた時に読む話

不謹慎と思われる方は、読まないでください。

先日、実家の問題がほぼひと段落ついたので、私のような所謂、下流老人を両親に持つ方の今後の人生のノウハウとしてもらいたく書きます。

2018年7月に父が意識不明で倒れ、2018年12月に去り、2019年の2月に相続放棄が成立しました。

父の年齢

父は高齢者といわれる年齢だった。

死去する直前に73の誕生日を迎えていました。

父との仲

ここ2,3年は絶縁状態だったが、元は仲が悪くないほどの関係ではなかった。

絶縁の理由も金銭管理ができない父が再三金銭の要求を僕に要求、金を貸す代償として、返済計画や生活状況の改善要求をしたが改善する気配がなく、貸さなくなったら、父の方から縁を切られたという状況だった。

家業について

父は会社を経営しており、60を過ぎたありで会社を部下か共同経営者に譲り、社長職から退いている。

バブル期より少し前に地元福岡で不動産仲介会社を創業

バブル期や福岡の都市開発の波に乗り、大した実力もないのに、昭和の終わりから平成の前半は福岡天神にオフィスを構える企業に成長した。

その後、バブル期崩壊のあおりを受け業界自体が沈み、オフィスは縮小に縮小を重ね、経営者を部下に譲り、私が確認しているとき(8年ほど前)は、博多駅周辺の雑居ビルに移転していた。

会社が倒産などいろいろあったらしいが父は詳しく話してくれなかった。

実家の家計状況

家計状況や家庭のモラルなどには、実は母という存在が大きくかかわっているのだが、母との関係だけで数記事書けるほどのボリュームなので、そのうち書こうと思う。

母のことを端的に述べると「元韓国籍(在日ではなく移住)で、統合失調症で、現状、書類や会話などの少し高度な日本語の解釈できない、幻聴や思い込みと混合し、事実を誤った認識をする」という人だ。

実家の収入源

・父の年金

実家の出費(私が知っている限り)

・私の学費を払う際に借りたといわれた年金担保
・母の医療費
・父自身の医療費
・車の維持費
・父の接待

年金担保は息子のために涙ぐましいと思うかもしれないが、そもそも私の中高大までの費用は払うと幼いころから豪語していた(親としては普通だと思うが……)

また、大半が私の私立の中高時の費用で、中学受験のきっかけも、父が当時幹事をやっていたOB会の高校が中学を創立するということで、OBの息子や孫に受験してみてはと勧められた父のOB会への付き合いきっかけで始まった受験で、元は父の見栄から出たものである。

実際、そこの中学には落ち、別の中学に進学することなったのだが、OB会で恥ずかしい思いをしたと散々嫌味を言われたのを今でも覚えている。

ちなみに私が進学した中高は、福岡市内の私立の中ではかなり安かった(年間60万程度)、中学で学費はかかっているがトータルで見れば、高い私立高校(年間100万程度)にいくのとそんなに変わらない授業料だった思われる。

また、東京都など関東の私立の中学などを考えると破格の値段だと思われる。

事実、大学受験は予備校には通えず、国立で大学も大学院もバイトと奨学金と授業料免除で、自活したのにもかかわらず、実家に帰ると「お前のために借金をしていた」と恩着せがましいにもほどがあるというレベルの説教を受けたことが何度もある。

ちなみに、月々2,3万返していたようである。

母の医療費

障害者2級の手帳と医療費補助の申請が通っているので、ほぼ医療費はかかっていない。

父自身の通院費と接待

問題はここだった、まず父は会社を辞め、年金暮らしをしていたが、機会があれば、もう一度事業を起こそうと、何かした仕事めいたことや接待をやっていたようだ。

ここら辺の話はいくらつついても父がしゃべらなかったし、父の見栄体質の結果、よくわからない出費と支出をよく見ていた。

例えば、大学院の授業料を稼ごうとしたら、急に金ができたといわれ、30万払ってくれたり、急に金が必要だといわれて、私が貯蓄していた奨学金を何度も勝手に引き出されたりなど、私からしても何をやっているのか謎だった。

ちなみに戻ってきてお金が計200万ほどある。

父の出どころ不明な急な仕送りがあったが、それでも僕のマイナスである。

そのうえで、重病をいくつも抱えていた。

・狭心症(死去の原因)
・糖尿病
・血流障害(死去の原因)

長年の営業職から経営者での接待生活のせいか、生活習慣病がひどかった。

何度も狭心症で倒れ、2,3度心筋梗塞で倒れて生死と彷徨っているにも関わらず、毎日の飲酒、喫煙を辞めず、私が再三の注意をしても辞めなかった。

ちなみに、奨学金を使い込むことを渋々認めたのは、父が重病だったので、頼むからそのお金を治療に使ってくれと、懇願したのもある。

ちなみに、食事もインスタント食品が主流で、再度の注意とまともな食品を送ろうとしたこともあるが一切拒否された。

生活保護の提案もしたが、もちろん拒否された……

ま、彼は聞く耳を持たず、金はどこへ消えたか、未だ分からないの……

車の維持費

これも父の怠慢の人だと思う。

例えば、実家が、周りにバス停も駅もないところだったら迷わず、車を持つべきだろうと思う。

だが、父は違った、実家は少し立地は悪いが、車を持たないと生活できないところにはなかった。

だが、彼は、車を手放さなかった。

これを手放しただけでも、相当な節約になっただろうに……

前置きは、長くなったが、話の本題はここからなのだ……

父の現状を見れば、こういう将来は見えていたのだが……

結局かえられなかった……

父が倒れてから

久々に実家に帰ると問題は山積みだった。

・会社の共同経営者との関係の拗れで裁判が行われていた
・実家のアパートが強制執行予定になっていた
・実家の家財道具など、バブル期の遺産で、物がとても多かった
・母の今後の生活の確保と説得
・私の家の納骨堂の管理問題
・縁を切った親戚との付き合い
・父の借金
・父の終末医療
・葬儀屋の選定
・ETC

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