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おなら。


相手のおならの音を聞きたいな、と思ったのは多分はじめてだ。

僕はもともと変わり者で変態ではあるけれど、デリカシーのないことを相手からされるのが嫌だった。おならを目の前でされたり、トイレのドアを閉めずに用を足されたり、鼻くそをほじくられたり、全裸で家中を歩かれたり。

多分、男性も女性も恥じらう気持ちを失くしたときに、相手への尊重や敬意も無くすのだと思っていたのだと思う。

だから、僕自身もおならはしなかったし、相手もしなかった。そのくらいの恥じらいは必要なのだと思っていた。


* * *


ある日、彼女が苦しそうにお腹をさすっていて「お腹が張ってガスが溜まってるの」と訴えた。

そのときにすぐに頭に浮かんだのは「おならを聞きたい!」というものだった。ええ。変態的だけど、そう思ったのだからしょうがない。noteで格好つけたってしょうがない。


「遠慮せずにやってよ!」


と僕は目を輝かせながら提案したが、彼女は顔を真赤にしながら「出来るわけがない」と拒否をした。僕はひどく残念に思い、落胆した。

その後で、一人になったときにどうしてあのとき僕は彼女のおならを聞きたいと思ったのかを、冷静に考え、思い出していた。おかしなことをしているが、実際そうだったのだからしょうがない。

彼女のすべてを知りたい、という気持ちだったのか。それとも、恥じらう彼女を見たかっただけなのか。好きな相手とおならというギャップに性的に興奮をしていたのか。

考えてみてもよくわからなかった。どれも違う気がする。

なんとなく一番近い答えは「彼女の音を聞きたい」というものだった。彼女のすべてを知りたいというものと似ているのかもしれないが、「知りたい」という欲求は偏執的であり、執着の気持ちが匂ってくる。

おならを聞きたいという欲求は、「さあお前のすべてを見せてみろ」というものではなく、本来あるべき彼女の姿を見て、聞いて、納得したいという気持ちなのではないかと思う。


彼女から音が出るなら、その音を聞いてみたい。
ただそういうシンプルな反応だった。


* * *


彼女と初めて出会ったとき、いきなりその存在全てを好きになった。彼女の「形」を好きになった。

普通は「へぇ、こういう優しい面もあるんだ」とか「目がすごく綺麗だな」とか「集中しているときの顔が好きだな」とか、好意のゲージがどんどん積み重なって相手への想いを募らせていくのだと思う。少なくとも、僕はそうやって人を好きになっていっていた。

一目惚れだと言われればそこで終わってしまうが、一目惚れはその後でどんどん減点されていくのだと思う。

「良いと思っていたのに、ちょっと薄情なところがあるな」とか「過去の男性遍歴が多すぎるな」とか「よく見ると化粧がちょっと変だよな」とか。段々と幻滅をしていくのが、一目惚れなんじゃないかと思う。


彼女の場合は、見た目も美しいのは確かだが、会った瞬間にその存在を僕は好きになったのだ。彼女という「形」に惚れてしまった。

なぜ彼女はその「形」をしているのか知りたくて、近くにいたくて、話を聞きたくて、自分が好きになった理由を積み重ねて、僕に見えている空白の「形」を埋めたいという欲求に衝き動かされた。その結果、普段自分からは女性にアプローチをしない僕が、連日連夜の猛攻勢だった。


* * *


普通だったら幻滅をしてしまうようなことを聞いたり見たりしても、「なるほど、そうだったのか!」と納得して終わる。いつもだったら嫌だなぁと思うようなことをされても「なるほど、そうなのか!」とただ納得する。

紅茶を淹れる所作も、食べ物にとてもこだわるところも、僕とは違う価値観や考え方も。彼女の一挙手一投足すべてが、僕にとっては「情報」で、それは空白の彼女の「形」を埋めるための理由であった。

なにをされても、なにを見ても、なにを聞いても、「なるほどなぁ、そうだったのか!」としか思わないし、得られたものはとても貴重な彼女の情報としか思わなかった。


そんな中で、彼女が「おならが出そう」と言おうものなら、ありがたくその音を頂戴したい気持ちになったのも自然なのじゃないかと思う。

窓ガラスが揺れるくらいの爆音でも良し、鈴虫の音色のような繊細な音でも良し。それがどうであれ、それが彼女から出る音なのであれば「なるほど! こういう屁をするのか!」と膝を打って、「おならの音」というラベリングをして、まだまだ空白の多い彼女の「形」の中に大切にしまう。


* * *


どうしても彼女のおならの音が聞きたい僕は、まずは自分から率先してやってみることにした。そうすることで、彼女もしてくれるかもしれないと期待をして。


「ぼん!」


という大きな音を立てて僕のおならは部屋に鳴り響き、ふたりで馬鹿笑いをした。その後で、彼女も負けじとおならをしてくれた。

残念ながら音の出ないタイプのものだったが、まだまだ僕らには時間があるはずだ。

次は、ちゃんと音色を聞かせてほしいな。







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