『リズと青い鳥』というアニメーションに滅茶苦茶衝撃をうけたのでそのことについてひたすら書いたノート

タイトルの通りです。

昨日この作品を見まして、もうなにがなやらわからない衝撃をうけまして。

皆様の感想を少し見てみると「言葉にならない」というものが非常に多く、僕自身もそうで、上映終了後、映画館の椅子から立ち上がれず、

「言葉にならない」「言葉にならない!」

これがひたすら脳内を反芻しており、ぐちゃぐちゃな状態でした。

一日時間をおいて、皆様の感想をや批評記事を読みながら、少しずつ、まとまってきまして、なので思ったことを書いていこうと思います。

※思いっきりネタバレを含みます。


※アニメに詳しいわけではないので、正しい批評のようなことは書けないと思います。元であるユーフォニアムすら見たことがありません。


※ひたすら自分が思ったことを書き散らかした内容になります。


これらの点をご了承いただいたうえで、読んでいただけますと幸いです。

なお、とてつもない衝撃から感想を整理するにあたり、非常に共感し気づきをいただいた、そして書く上で非常に参考にし、一部引用をさせていただきました『物語る亀』というブログのリンクを掲載させていただきます。

僕なんかのノートより余程面白く、批評的で、的を得ていて、僕の文章よりも兎に角こちらを読んでください。ネタバレなしの記事もございます。毎日楽しく拝見しております。ありがとうございます。

【ネタばれあり】http://blog.monogatarukame.net/entry/LISU_bluebard_2

【ネタばれなし】http://blog.monogatarukame.net/entry/LIZU_bluebird


【リズと青い鳥公式ホームページ】http://liz-bluebird.com/













【冒頭のタイトルが出るまでのシーンからの交々】


鑑賞済みの方ならわかる人もいると思うのですが、最初から最後まで、画面の中のアニメーションから目がが離せないんですね。

一口に「目が離せない」といっても様々にあると思います。「ああ楽しい。ずっとこの作品を見ていたい」という多幸感からくる「目が離せない」ですとか、「なになにこの先どうなっちゃうの。続きが気になる」という興味の持続による「目が離せない」ですとか。

じゃあこの作品はどう感じたかというと、

なんだかもう、ものすごい緊張感なんですよ。。

だからもう目を離せないんです。目を話したら殺されるんじゃないかというくらいの緊張感があって。

その緊張感の要因のひとつに、「空気・空間を感じることができるから」というものがある気がしているんですね。正確に言うと、空気・空間を感じざるを得ないといますか。

空気・空間を感じたほうが面白いに決まっているから、感じてくれ、という緊張感

が漂っている気がするんですね。ちょっと乱暴な言い方だな、、、。

その見方というものが、作品の冒頭のシーンから提示されているんじゃないかと思うんです。

冒頭というのはあの、みぞれと希美が合流してタイトルが映し出されるまでの一連のシーンです。

わかりやすい台詞(つまり感情表現)や大仰なBGMはなく、二人の挙動のひとつひとつや、滅茶苦茶精密な環境音等が際立つようになっています。

もうこの時点で、「こういうところをこそ見てくれ」という風に、意識するかしないかは人それぞれだと思いますが、見ている人に見方を刷り込んでいくようなOPシーンになっていると思うんです。いつもとは違ったアンテナの張り方をして、緊張感をもって見てほしいと言いますか。

画面全体を広く、わかりやすい表現だけでなく細部をとらえたいという意識、これが先ほど言ったところの空気・空間を感じるという言い方に、僕の中ではなりました。

だもので冒頭のシーンが終わっただけでドッと疲れました。滅茶苦茶疲れた。

でも目が離せないんですよ。空気・空間を捉えたほうが面白いとわからされてしまったし、常に緊張感はあるんですから。

もしかしたら普段から空気や空間を感じるような見方をしているひとは、これくらい当たり前で、それほど疲れたりしないものなのでしょうか、、、。今作は格別だと思うのですがどうなんだろう、、、。

冒頭が早朝の登校シーンだったことも個人的には大きいと思っていまして、

これは僕の感覚の問題かもしれませんが。

前回の劇場版の『聲の形』を見たときにも思ったのですが、

と言いますかこの記事自体聲の形を流しながら書いているのですが、今マリアが退院してきた将也に「しぬ~しぬ~」と駆け寄っていったところなのですが、僕はこのシーンがたまらなく好きなのですが、そんなことはまあ置いておきまして、

山田尚子さんの作品の色味が、澄んだ空気を表現するのにぴったりだなと。といいますか澄んだ空気はこの作品に常に流れているものだと思います。いや、山田監督の作品はこの二作くらいしかきちんと見たことがないので(けいおんは当時途中で見るのをやめてしまいました)、あくまでもこのリズと聲の形を見た印象です。

例えばですが、こちらリズと青い鳥のPVです。

画像が載せられたらよいのですが、権利関係がよくわからないので公式のものを。

そもそもが全体的に淡い色使いだからか、暑苦しさや雑多な感じがほとんどないと思うんですね。

そしてとてもわかりやすいのが生徒たちが着ている水色の制服です。

このタイプの水色って例えば聲の形ですと空の色に非常に近いと思うんですが、常に作品全体にこういう色味からくる非常に澄んだ空気が漂っているような気がしまして。と言いますかタイトル自体「青い鳥」ですから綺麗な青系統の色が重要というか印象に残ると思うんです。

この澄んだ色見のおかげで、ワンシーンワンシーンが物凄い情報量のはずなのに、イメージの上ではそれほど混雑していない気がするんですね。


話がうまくまとまっている気がしませんが、

一、早朝の澄んだ空気と作品自体の澄んだ色身の愛称が抜群で、

二、その上その空気・空間を存分に感じてほしいという意図を強くもっていたシーンだったので、

結論、滅茶苦茶に澄んだ空気と緊張感を持った、とんでもないOPシーンになったのじゃないか

と思っています。


「今作はとても緊張感が漂う作品である。まるで居合抜きの達人と向かい合っているようなもので、気を一瞬でも抜いたらすぐに切られてしまう……そんな緊張感が終始漂っている。それだけ絵の持つ力が強いということだ。山田尚子と観客の真剣勝負だよ」」(『物語る亀 ネタバレありの物語批評』より引用)

こちらの表現がまさにぴったりだと思います。

一瞬一瞬、刹那に流れる情報量が非常に多く、少しでも気を緩めその瞬間を逃した途端切られると言いますか。さらに言えば「真剣」の研ぎ澄まされた刃のイメージは、この作品の淀みのない空気からくるものでもあるのかと思うのです。

さらにこの作品は、意味の解釈の幅が広いんです。

余白が滅茶苦茶広いんです。

きっと人によって抱く感想は千差万別なはずですし、全く異なると思います。共感できる人間もシーンも全く違うと思います。

同じ人間の中でも、最初に見た時には微笑ましく見ていたシーンが次回見た時にはたまらなく泣けてきたりですとか、自分のその時の気分やコンディションなんかでも大きく印象が変わるはずです。

それだけの広がりをもった作品です。

この余白はというのはもちろん完全に意図的に生み出されているはずで、今まで書いた、

作品に広い余白があること=空気・空間をとらえるような広い見方をしなければならないこと=澄んだ淀みのない世界であること

これらすべての要素って本当に相性がよいといますか、全ての要素に「広がり(と言ったような共通のイメージ)」がある気がするんですね。

どんどん漠然とした話になってしまいますが、そして至極当然のことを言うようですが、

作品中のすべての要素が、表現したいことのためにかみ合っている気がするんです。

これ恐らく一流の作品においては全て当てはまることなのかもしれませんが、、、。


えらそうに批評して、、、的はずれかもしれません。自分でも勢いのみでキーを打っているため、なにを書いているのかわからなくなってきました。

かもしれませんが、僕はOPの一連のシーンを見ながらもうわけもわからぬまま泣きそうになっていたんですね。二人が演奏を始めてゆっくりとタイトルが現れた瞬間にはもう震えがとまりませんでした。兎に角もう最初の数分でこの作品に完全にやられていたんですね。それだけは本当のことです。


僕はアニメの専門家ではありませんし、詳しい技術や作成過程は全くわかりません。

ただ、

無知な人間にも、作り手の圧倒的な拘りや意気込みやクオリティは必ず伝わるものだと僕は思っています。

例えばですが、『この世界の片隅に』を見たときの感覚がとてもわかりやすかったのですが、(細かく言うと種類は違うのですが)

僕は戦時中の広島についての知識は全くと言ってよいほどありません。原爆ドームは頭の中でイメージできますが、そのほかの建造物や町並みについては想像などできるはずもありません。

それでも「この世界の片隅に」を見たとき瞬間に、冒頭の、すずさんが船からおりて、広島の町並みが広がった瞬間に、「ああ、これが広島の町並みだ」と圧倒されたんですね。

実際に物凄く精密な取材や調査を行っていたというのは後から知った話で、

しかし見ている瞬間から「ああ、きっとこの町並みや人間たちはとても時間をかけて、とても大切に詳細に調査をして作ったのだな」と、素直に頭に浮かんだんですね。

『ズートピア』を見たときもそうで、「きっと物凄く細部までこだわりを持って、複線を随所に張り巡らせて作ったのだな」ということが、具体的に複線を拾うことができなくとも、ただ圧倒的に感覚として伝わるということは、往々にしてあると思うのです。

作品内説得力とでも言うのでしょうか。この一言でまとめるのは雑なのですが、ざっくり言うとそう思うのです。

だもので、リズと青い鳥を見たときも、冒頭の圧倒感をもって、これはもうアニメ的なクオリティや志や、そういったものが圧倒的なのだと、もう伝わってしまったんですね。

もうなんというか、言葉や理屈じゃないですね。ただ物凄いものを見たし、聞けたし、考えることができたし、感じることができたんです。と僕は思っているんです。

だからそれだけでいいんですが、ただ何とか具体的にこの作品のことを伝えたくて、知ってほしくて書いているんだと思います。じゃあネタバレなしで書けという話ですが。




【剣崎梨々花さんが突然涙するシーンについての交々】


剣崎さんが、みぞれと机を挟んで他愛無い話をしていると思ったら、次の瞬間急に泣き出すというシーンがあります。

「オーディションに落ちてしまった」「先輩といっしょに演奏したかった」という旨の台詞を言いながらポロポロ泣くというシーンがあります。

このシーン自体はウェットになりすぎないバランスで切り上げられているのですが、僕はこのシーンが終わったあとも一分間ぐらい涙がとまりませんでした。

ついさっきまで剣崎さんの挙動や表情がかわい過ぎて、ひたすらにやついていたのですが、たった二秒ほどの間に泣かされてしまいました。

このような、ある感情から一瞬にして別の感情にシフトするような感動の仕方って、僕はアニメではほとんどなくて、舞台ですとか、生身の人間の芝居を見ている時によく起こることなんですね。きっと人によって全く違うでしょうが。

なので、今回こういうことが起きたということは、そもそも作品中にアニメというよりも生身の人間に近いようなきめ細やかな表現が多様されていたりしたため、普段アニメを見ているときよりも、非常に生身的に肉付けされたように、キャラクターもとい剣崎さんのことを捉えていたんじゃないかと、勝手に思っているんですね。

まあ単純に剣崎さんがかわいかったから愛着をもっていただけかもしれませんが。抜群にかわいかった、剣崎さん。




【みぞれに抱きつかれた希美のシーンに対する交々】

といったような漠然とした話ではあるのですが、

本作は、表現においての実写的なバランスとアニメ的なバランスを絶妙にとらえている気がするんですね。

アニメで感動できる(しやすい)ことと実写で感動できる(しやすい)ことは、確実に異なるはずなんです。当然ですね表現方法が違うんですから。

その辺は人によって微妙に違うはずで、今までの人生のなかで人間をどういう風にとらえてきたか、ということに非常に大きく起因すると思うんです。

よくアニメや漫画を実写化する際に、「こんな臭くて熱い台詞、生身の人間が言ってると違和感あるよ」ということがあります。

これ、もちろん言葉遣いが違うというのもあるのですが、僕がよく感じるのは「人間てそんなに純粋な生き物じゃねえよ」ということなんです。

言葉遣い云々の前に、

正直な気持ちや混じりっ気のない気持ちを率直に伝えることができるという印象を生身の人間に対して僕は殆ど持っていないんです。


人間はそもそも複雑で、ぐちゃぐちゃで、一言ではいえなくて、不純で、満ち足りていない存在だと思っているんです。


これってつまり、自分に対する印象なのかもしれません。今書いていて思いました。

なので本当に人によって捉え方は違うと思うんです。僕にとってはそうで。

なのでそもそもフィクションである、生身の人間(のからだ)を使った表現でないアニメーションだと、自分にとってフィクション性の強い台詞や気持ちや展開が受け入れやすいんです。

リズと青い鳥に関しての印象を言うと、

例えば実際に喋っていることと腹の中は全く違ったりするんですね。色々な思惑が見えない部分で渦巻いていたりですとか。

これって僕にとっては非常に生身っぽいことなんです。人間っぽいことなんです。実写っぽいことなんです。

みぞれがちょっとしたときに頻繁に髪を触る癖があったりとか、こういう歪なところ、とても人間くさいなと思うんです。

ちょっとした瞬間に瞬きをしたり、ほほを赤らめたり、目を涙で潤めたり、こういう滅茶苦茶きめ細やかな動きってとても生身の人間らしい動作だと思うんですね。

リズと青い鳥は、生身の人間らしさにあふれている作品だと、僕は感じています。

じゃあ実写でやっても同じなのかというと全くそんなことはないと思っていて、


それら人間的な動きの映し方・取り上げ方が非常にアニメに適していると思っていまして、

先ほど例にあげた瞬きですとか髪をかきあげる癖ですとか、それ自体は非常に実写的で人間的な挙動な気がするのですが、

実写でこれ見よがしな映し方をされると、あまりにも露骨な描写になってしまうような気がするんです。

でもアニメーションだと、そういった動きをある程度真正面から映してもフィクション性の中で許容されて、臭くならならない、という印象がありまして、

その最たる例が「目が潤む」という表現とその映し方だと思っているんです。

あそこですあの、作品も終盤の、みぞれと希美がフグの水槽の前で思いをぶつけあうシーン。

あのシーンはそもそもお互いに感情を発露する、とても強い熱がシーン自体にありますが、あそこで、みぞれに抱きつかれた愛の告白を受ける希美の目がひたすらにアップで映されるという瞬間があったと思うのですが、

あれって目が潤むという動き自体は非常に生身の人間らしい細かな現象だと思うのですが、あの現象を真正面からあれだけアップで映し続けるという、映し方に関しては非常にアニメ的にストレートなことなんじゃないかと思うんです。

実写的機微をアニメ的に映していると言いますか。



、、、自分で書いていて頭が痛くなってきました。長々と書いてきたので頭が疲れて、矛盾だらけのことを書いているような気がします。

つまり、実写で見るよりも、人間的な交々がアニメ的にストレートに伝わり、より感動をましたんじゃないかと

たぶん。おそらく。思います。違うかな、、、。



まあそもそもアニメーションは

「動く」ということ自体がそのまま最大の感動になる

ものだと思ってまして。

人間がする動きをアニメーションで再現されると、もうそれだけで感動してしまうんです。

だいぶ前にクラナドというアニメを見た覚えがありまして、クラナド自体については好きも嫌いも様々な感想があっていろいろ長くなりますので割愛しますが、そしてだいぶ前なので記憶も薄れているのでそもそもうまく書けないのですが、

その、確かアフターストーリーの最後のほうだったと思うのですが、

こおろぎさとみさん演じる幼子が、主人公の男性と一緒にご飯を食べるというシーンがありまして(この回たしか語り継がれるような素晴らしい回で、僕も見たとき鼻汁垂らして泣いたのですが、記憶が薄れているんですすみません)、

その幼子の動きを見ただけで、僕はもうはっとさせられたといいますか、感動してしまったんですね。

きき手にスプーンをもって汚い握り方でご飯をすくって食べているのですが、小さい子ってそういうときうまくバランスがとれなかったりするじゃないですか。

そこで、スプーンを持っていないほうの手を少し横に伸ばしてバランスをとっていたんです。

これが僕ずっと印象に残っていているんです。

これ実写で同じシーンを見ても全く残らなかったと思うんです。アニメで見たからこそ、その動きを認識できて、感動できたと思うんですね。

この類の感動がリズと青い鳥には溢れている気がするんです。

そもそもの作画のクオリティと人間観察力が超絶に高いんです。





【希美と新山先生の会話のシーンについての交々】


実写的な芝居とアニメ的な芝居について、とてもざっくりと思いを巡らせたシーンとして、上記のシーンもありまして、

あの、遠くから二人のやり取りが映し出されているシーンですね。「わたしも音大受けようと思います」というシーンです。

あそこ、絶妙に互いの会話の思考の間をとったり、ちょっと足を組んだり距離を引いたりという挙動だけで互いの感情を描いているシーンですが、

あの足を組んだりする動きや距離をとったりする動きって、「ああまではっきり映されると実写だと臭いんじゃないかな」とか「アングルを変えるとか動き自体をもう少しぬるりとするとか」とか「じゃあ台詞がなかったらどうだろう」とか「舞台だったら同じような動きでもありなのかもしれない」とか、

一瞬にして様々な思いが巡ったシーンだったりしました。






長々と書いてきましたが、かなり疲れたのでこのへんでいったんやめようと思います。もう書きたいことはいくらでも出てくるので。もしかしたら後々書き足すかもしれません。

もしもここ矛盾しているとか的外れだと思うとかありましたら言ってください。確実にそういうところあるような気がします。


ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、

結局のところ一番言いたいことは、「リズと青い鳥にただひたすら衝撃をうけた。たまらなく好きだ。」ということです。


近いうちにもう一度見にいくつもりです。絶対に一回では味わえなかった感動や気づきが山のようにあるでしょう。

ひたすらに楽しみです。

これから何度も見返す作品になるでしょうし、ユーフォニアムのほうもきちんと知らなければですし、山田尚子監督の作品も観なければなりません。

ひたすらに楽しみです。



このような駄文に最後までお付き合いくださり、本当に本当にありがとうございました。


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