"何もしない"は「悪」なのか

先日、家の近くにとてもステキなお好み焼き屋さんを見つけた。

中洲商店街を入って地下の、とても分かりにくい場所にあるのだけれど、誰かに誘われなければ決して来ることのないような、まさに隠れ家のようなお店だ。

お店のどこが好きかと聞かれると沢山あるのだけれど、まずコスパが最高だ。お酒を飲んで料理をたくさん食べても一人2,000円ほどで、しかも料理は感動するほど美味しい。

そして何といっても、いつ行ってもお客さんが少ない。金曜の天神・中洲といえば、どんなお店でも予約で入れない中、そのお店は金曜でも普通に入れるから、私としてはとても有り難い。

お店は夫婦で切り盛りしているようで、旦那さんが厨房で料理を作り、奥さんがオーダーを取っている。カウンターの端には、5歳ぐらいの娘さんがちょこんと座っている。

時間に余裕があるときは、旦那さんが軽く料理を作って娘さんに食べさせているのだけれど、そんな家族の一面を見るのが妙に微笑ましい。店員さんの余裕がある姿を見ると、こちらまで穏やかな気持ちになる。

ただ、余裕があると言っても、何もしていない訳ではない。周りのお客さんのことや、お店のことをしっかりと見ているのだ。

少し話は変わるけれど、Waitという英語がある。日本語で「待つ」という意味だ。

実は、Waitにはもう一つの意味があるそう。それが「侍る」だ。
お世話するために、側に控えているという意味。

どちらも一見何もしてないように見えるけれど、「侍る」は側に控えて、必要なタイミングを見計らっているのだ。ちなみに、ウエイターの語源も、「侍る」からきているそう。

例えば、仕事において、"何もしない時間"は悪とされることが多い。そうなると自分が落ち着かなくなるし、
「周りから暇そうに思われるのが嫌だ」
「役に立てていないような気がして嫌だ」
と思ってしまったりする。

また、飲食店においては、出来る限り客席を埋めようとしたり、時間短縮や効率化のために機械をフル稼働させようとすることがある。

だけどもしも、それでお客さんに十分なサービスや料理を提供出来なかったら、それらの努力は全くもって無駄になってしまう。
効率化する場所を誤ることで、将来のお客さんを失ってしまう可能性があるのだ。

最近は、"何もしない"ことの重要性を考えるようになった。"何もしない"とは、悪ではなくて、実はとても良いことなのだ。

もちろん、ずっと"何もしない"のはいけないと思うけれど、例えば80%は全力を尽くして、残りの20%は余裕を持っておく。
そうすることで、目の前のことだけではなく、広い視野で物事を見ることが出来るようになる。周りの小さな変化にも、すぐに気づくことができるんじゃないかと思う。

「若いうちはがむしゃらに働け!」と言われることがあるけれど、私は心の中で多少の余裕は持っておきたいなと思う。もし余裕がなくても自分の視野の狭さに気づけたら良いけれど、中々自分では気づけるものでもない。

それなら、"何もしない"時間があるときは、無理に予定を入れたり、忙しくしようとせずに、余裕を持たせておいて、目の前のことに懸命になりすぎず、視野を広げられる自分でいたいと思うのだ。

#とは #コラム #エッセイ #日記

この記事が参加している募集

記事を読んでいただき、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、今後の創作活動に回したいと思います。