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徹夜必至のおすすめ小説

ネットで「読み始めたら止まらない! 徹夜必死のおすすめ小説」というサイトをたまたまみて、自分にもそういうことがあったなと思いだしてなつかしくなりました。このまま徹夜して読みすすめたら、明日の仕事(or 学業)はとんでもなくつらくなるぞと思いつつ、それでもやめられなかった小説というのが、だれでも人生にいくつかありますよね。

おもしろい小説には2種類あります。ひとつは読みはじめたら徹夜してもとまらないものと、もうひとつはおもしろくて毎日すこしずつ読みすすめるものであり、ここでとりあげるのは前者となります。本を読みつづけさせるためには単純なおもしろさだけではダメで、小説の構成や展開の妙といったものが必要であり、必然的にいい意味での大衆性、通俗性が必要になってきます。

わたしにとってのそういった小説を10冊を思いだしてあげてみました。書きすすめてみると「おすすめ」というよりは自分の読書録みたいな感じになってしまいました。このなかのどれを読んでも絶対に損はさせない自信はありますが、それでもきわめて私的なリストとなっているのは認めざるをえません。のこりの人生でこういった本にあと何冊にであえるかが、いまのわたしの最大の関心事です。

● クローニン「城砦」

理想に燃える若き医師アンドルー・マンスンが主人公。南ウェールズの炭鉱町の病院、ロンドンでの開業、そして信頼できる友人たちと理想の診療所をつくるためにロンドンを去るところまで。つぎつぎに直面する過酷な現実と試練にたちむかうアンドルーであるが、最大の試練は理想のパートナーでもあった妻クリスティンの死であった。

医者であればかならず惹きつけられではいられない小説です。ときには挫折しときには堕落しかけることはあっても、理想と志をすてずごまかさないで生きるアンドルーの姿は、われわれと等身大です。医学生、若手医師に勧めたいのはもちろん、疲れはてともすれば初心を失いそうになったときによく「効く」小説です。

● ドストエフスキー「賭博者」

ドストエフスキーの「カラマーゾフ」以下の有名な作品は、読んで、はまるだけではすまない強烈な副作用があるので、むしろ一晩で読みおえそうなこの小説を選びました。作者自身が借金に追いまくられ、金のために口述筆記で書きとばした中篇小説ということで軽くみられがちなのですが、実際読んでみるとこの小説もよほどおそろしい作品です。

ドストエフスキーの小説はわたしにとっては特別な存在で、読みすすめていくと心の底が共振してきて、こちらもおかしくなってきます。だから時間があって、かつよほど心身に余裕があるときでなければ手をつけるのがむずかしい。(それでも数年おきに読みついできて,あとは大本命「カラマーゾフ」を残すのみになりました)。

簡単にいうと主人公のアレクセイが賭博にはまって破滅していく話です。賭博はこわい。しかしほんとうにこわいのは、それがわかっていながら、いやわかっているからこそ逆に賭博にはまり、わかっていながら破滅していく人間の本性そのものです。

● ヘッセ「デミアン」

副題に「エミール・シンクレールの少年時代の物語」とあるように、手記の形の主人公シンクレールの十代をとおしての物語です。現代風にいうと、いじめられっ子だったシンクレールが、デミアンとであうことにより地獄から救われ、内面的にも真の自己をみつけようと成長をとげていくことになります。

シンクレールはいくつかの人生の転機を迎えるたびにデミアンと再会し、その都度つよい影響を受けます。しかしこの友人は深いところで善と悪の二面性をもっていて、シンクレールはさまざまな葛藤に直面せざるを得ない。第一世界大戦に志願した主人公が、塹壕のなかで心のなかのデミアンと対話するところでこの小説はおわります。

わたしとっては中学、高校のとき2回読んだなつかしい小説です。ドイツのみならず世界中の青年に影響をあたえ読みつがれてきた小説で、さしずめ「自分さがし」の流行のはしり、あるいは戦前の村上春樹といったところでしょうか。

● 東野圭吾「白夜行」

主人公の雪穂と、その影のように見えかくれする亮司。その周囲に不可解な事件が続発していくミステリです。主人公のふたりの心理描写をいっさい排し、非常に乾いた感触がしますが、次第にふたりの深いかなしみが小説をおおいつくしていきます。ストーリーは20年にもおよび、伏線がいくつもはりめぐらされていて、東野圭吾の代表作のひとつです。

読みはじめたらまちがいなく夜があけてもやめられなくなります。国際学会出張の成田-フランクフルト便のなかで一気に読んでしまいまったのがなつかしい思いでです。続編ともいわれる「幻夜」もあわせてお勧めです。

● 山崎豊子「沈まぬ太陽」

山崎豊子の小説はどれをとってもスケールがおおきく、またおもしろいのですが、なかでもこの「沈まぬ太陽」がもっとも「読みはじめたらやめられない」小説でしょう。

左遷されたアフリカの地での活躍を描いた「アフリカ篇」、日航機墜落事故の遺族係を担当した「御巣鷹山篇」、日本航空の再建に奔走した「会長室」篇のいずれも、ストーリー展開のおもしろさ、味わいぶかさで出色のできです。わたしはこの本(5冊)を2泊3日のトランク(外勤)で読みました。

● 藤沢周平「風の果て」

有名な「蟬しぐれ」と甲乙つけがたいのですが、読後にほんのわずか苦い味がのこる「風の果て」をあげます。主人公がさまざまな体験をとおして成長していくビルドゥングスロマンですが、友情あり、恋あり、御家騒動あり、果たし合いありと藤沢周平の小説の娯楽のエッセンスがすべて配されていて、最後まで読者をあきさせることがありません。

たゆまぬ努力と幸運により海坂藩の家老まで登りつめた主人公のもとに、ある日むかしの親友から果たし状が送られてきます。主人公が若いころからいまにいたるまでの道のりを回想するところから小説がはじまります。

● 山本周五郎「長い坂」

「人生とは重き荷物を背負って坂道を登るようなもの。 忙ぐべからず」との徳川家康の名言を彷彿させる表題のとおり、下級武士に生まれた主人公が、人となりを見こまれ名家に婿養子にはいり、さらには長い試練をへて家老まで出世する、これも一種のビルドゥングスロマンです。藤沢周平に直接的な影響を与えていると思われます。

非常に自省的な小説で、内面的な描写を主としていますので、時代小説でありながら純文学に近い香りがします。重い文体はややとっつきにくいところがありますが、一度その世界にはまりこむと逃れがたい魅力にあふれています。「樅の木は残った」「虚空遍歴」もおなじようにすばらしい小説でおすすめです。

● 司馬遼太郎「坂の上の雲」

国民作家といわれた司馬遼太郎のなかで、読みはじめたらもう止まらない小説の代表といったらこれでしょう。伊予の正岡子規と秋山兄弟の3人を中心に、日清、日露戦争とへて近代国家に生まれかわろうとする日本という国家を描いた小説です。

国家は小説の主人公にはなりえません。日本の、いい意味でも悪い意味でも「近代化」をテーマとするにしても、小説であるかぎりは個々の人間を描写することになります。そのいわば全体小説の試みに、司馬遼太郎はひとつの解答を示したと思われます。それも小説として非常に魅力的な形として。いわゆる司馬史観の当否はその次の問題にすぎません。

● 塩野七生「ハンニバル戦記」

いわずとしれた「ローマ人の物語」の第2巻ですね。この史伝全15巻のなかの白眉の一冊を、すぐれた「小説」としてとりあげるのに異議を唱えるひとは少ないでしょう。ハンニバルについての一次資料は、すべて敵のローマ側のものしか残されていないにもかかわらず、武将として、いや人間としての魅力がこれほどまでに表れてくるのはなぜでしょうか。

「ハンニバル戦記」のハンニバルはいつも敵地でひとり屹立しながら、部下は最後の最後まで彼についていきました。歴史に残された彼のことばはわずかでありながら、作者はみごとに男としての生きかたを活写しています。長いローマ史のなかで塩野七生がもっとも愛した男はハンニバルとユリウス・カエサルのふたりだったからでしょうか。

● アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記」

ル=グウィンはどれもよくて、「闇の左手」をあげようかと思ったのですが、前半の描写がきわめて静的であり、ひとによってはそこでとまってしまうかもしれません。「ゲド戦記」では2巻目の「こわれた腕輪」がもっとも小説として完成していて、その緊密な構成は読むのを途中でとめさせることがありません。

ひとはそれぞれにアーシュラ•K•ル=グィンにであうでしょう。わたしの場合はこうでした。ある日の高校の図書室で、「ゲド戦記」の名でしられているアースシー三部作がわたしをつかんで、そして数日間というもの昼も夜もはなしませんでした。授業中も家でもずっと読み続けていました。「ゲド戦記」はファンタジーであり心理小説でもあり、また一種のビルドゥングスロマンでもあります。そして読むものにたいしては幅広い解釈の余地をあたえる作品です。

ひとは本を読んで、そのときなにかを感じるのですが、その感じる内容は自分の成長とともにまたかわっていきます。ひとが本を見るのではない、本がそのひとのひととなりを見ているのです。生きている節目にその本が読みたくなり、あるいはたまたま遭遇して再読し、またなにかを感じる。それはわたしが欲してではなく、その本がわたしを欲しておこすことです。

次点

● マルグリット・ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」

大学時代に読んだ本です。読みつづけて倦むことのなかった記憶だけはしっかりしていますが、それ以来再読する機会を逸したため適切に紹介する自信がありませんが、聡明で美麗な養子アエリウスを若くして亡くしたハドリアヌスの痛切な愛惜の念だけはいまでもよみがえってきます。

「テルマエ・ロマエ」はこの本への一種のオマージュかもしれませんね。最近、中公文庫で復刊された辻邦生「背教者ユリアヌス」も抜群におもしろい本です。

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