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「良いコンテンツ」と「悪いコンテンツ」の違い

こんにちは、マーケターのムロヤ(@rmuroya)です。

やれ潜在層にリーチするぞと各社でオウンドメディアが勃興し、今や情報が氾濫してコンテンツマーケティングが過渡期になりつつあるなか、ここ最近は改めて「コンテンツ」に向き合うことの大切さが見直されてきているように感じます。


SEOでは究極には検索体験を追求することですし、

(医療健康問題やポスト真実問題もあり、現に「E-A-T(専門性、権威性、信頼性)」がますます重要な評価軸になりつつあります)

Expertise(専門性があること)
Authoritativeness (権威があること)
TrustWorthiness (信頼できること)


Instagramは投稿者が増えているため、単純にハッシュタグをつけたり、雑誌のような一貫性をもった投稿でもフォロワーを増やしていくことの難易度はあがってきています。

また、コンテンツの話になるとよく「良いコンテンツには愛が大切だ!」と語られる場面を見ますが、必ずしも誰もが愛情のかけ方を知っているわけではありませんし、愛情をかけられたことがない人は愛情のかけ方が分からずにつまづいてしまうこともありそうです。

なので、コンテンツへの愛のかけ方について解像度高く想像できるように、コンテンツに対する私なりの考えを書いてみたいと思います。


良いコンテンツ、悪いコンテンツ(あと、中途半端なコンテンツ)


* * *

良いコンテンツはタスクが早く終わる。

悪いコンテンツはタスクがいつまで経っても終わらない。

中途半端なコンテンツはタスクが終わった気になる。



良いコンテンツは人生を助ける。

悪いコンテンツは負の方向に導く。

中途半端なコンテンツはとくに人生に刻み込まれない。



良いコンテンツは気持ちがいい。

悪いコンテンツは不快の結晶。

中途半端なコンテンツはなんか冷めている自分に気づく。



良いコンテンツは評判が立つ。

悪いコンテンツはネガティブな評判が立つ。

中途半端なコンテンツは話題にもされない。



良いコンテンツには作り手の責任がある。

悪いコンテンツは責任をもたない。

中途半端なコンテンツは責任をもっているつもりでも覚悟がたりない。


* * *


こう書いてみるとどれも当たり前のことなのですが、この当たり前のことをどれだけ解像度高く把握していて、ハラ落ちしており、実践が出来ているかが大きな差をつくるのでしょう。


ただ、当たり前のことだからこそ、「これは言わなくてもわかってるよね」のコミュニケーションが生まれづらく、暗黙知になったままになりやすいもの。

バズるだの、検索で上位に表示されるだのリーチの話も大事ですが、当たり前のことに向き合って、「コンテンツは真に喜ばれるものになっているか?」の意識を日々の業務で忙殺されないように、精進していきたいところです。


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