お世話になっているBar

28歳の頃からお世話になっているバーが西浅草にある。当時は千葉の船橋で一人暮らしをして、浜松町の会社に勤めていたので、途中下車をして2〜3杯飲んでいくスタイルだった。チャージもなく、1杯600円から飲める気軽なバー。カウンターしかない小さなバーだけど、気兼ねなく飲める、肩肘を張らなくていい場所だ。

Michael Jacksonが好きで、ファンの方から教えていただいたバーで、もちろん店内にはマイケル色が強くても出ている。夢のような空間。 少年期のマイケルから、青年期のマイケルまでいるのである。ファンとしては嬉しい。しかし、ここでテンションあがって店主にマイケル愛を語ろうものなら、肩透かしをくらうことになる。なんというか、話しにあまりノッてくれない。でも、いいのだ。マイケルは語るものじゃない。

何年か通ううちに、私は浅草でストリップを見ることを覚えた。はまったきっかけは、また後日話したいとして、私はとにかく、浅草でストリップの観劇を覚えたのだ。もう5年も前のことだ。当時、最後のフィナーレまで見ると、浅草駅から京成船橋駅まで、乗り換えなしで帰れる電車があった。ちょっと早歩きすれば、間に合う。夜のすしや通りで、しつこい「飲みに行きませんか」という声かけを無視して払って、必死にヒールで浅草線まで歩いていた。

何度か同じことを繰り返すうちに、浅草で夜を明かした方が楽、という考えに変わった。別に高砂駅で、同じホームの電車に乗り換えるだけで、問題は解決するのだけど、なんだか負けた気がする。船橋まで1本で帰れるなら、1本で帰して欲しかった。それができぬなら、夜を明かしてみせようなんとやらだ。私は例のバーで始発が出るまで飲み明かすことを覚えた。

仕事帰り、ストリップ観劇、バーでオールを繰り返すうち、わかったことがあった。電車を気にして早歩きで帰っていた時に、しきりに「飲みに行きませんか」という声はストリップ劇場を出てからかけられていた。一人で歩く時は、ひたすら音楽を聴いているので気がついてなかったが、劇場を出たと同時に声をかけられる。「あぁ、これ劇場の中からつけられていたんだ」と思った。しかし、こちらは浅草に知り合いがいる。行きつけのバーがあるだけで心強かった。バーまでは人通りの多い道しか通らない。バーまでついてきたら、その時は酒の1杯2杯でもおごってもらおうじゃないの。駅とは反対側の、そのバーまでのらりくらりと無視しながら歩き、バーに入って振り返ると、その人は入店せず去っていった。マスターが数分後に様子を見に行ってくれたが、もういないとのことで安心して明け方まで飲んだ。

そんなこんなで、浅草で楽しむにも、落ち着ける場所があってこそ、心置きなく遊べた。男と別れただの、仕事辞めたいだのの愚痴がはけるのも、はたまた異業種、学生、経営者の色んな人の話しが聞けるのも、酒飲み場の楽しいところだ。

数年前の、とある日、常連の女性のお節介が、功となし、私は常連の男性と結婚した。当時の私は、男と別れたばかりで、息を吐くように愚痴ばかりはいていた。時を同じくして、彼女と別れたばかりの、今の主人もその常連女性にくだを巻いていた。面倒くさくなったであろう、その女性は、我々にLINEを交換させて、「じゃあ、お前らでくっつけよ」(酔っ払いなので、口の悪さはご愛嬌)と言い残して去っていった。残された我々は、頭をぽりぽりかきながら、挨拶をして、飲みに行く約束をかわした。


不思議なもので、愚痴を言って聞いて、同意したり、慰められたりする頃には、お互いのことを分かり合えた気になっていた。この後、お付き合いを経て、結婚するまでにも、もちろん紆余曲折はあったのだけど。私は、お世話になっているこのバーで出会った男性と、結婚に至った。

その後、2人の共通の趣味である猫を貰いに行った。偶然にも、猫を飼うなら保護猫! という願いが一緒だったため、スムーズに受け渡しの日を迎えた。この猫が、いま家で丸まって寝ているピノコだ。旅行の際、猫の面倒もマスターが見てくれている。これは、完全にマスターのご厚意なのだけども、ピノコのご飯の減り方と、排泄の量をきちんと連絡くれる。

居心地の良いバーから、いつしか生活の一部になっている、必需なバーが私にはある。

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