サラダスティックの話

私は昨晩、お腹が空いていた。

「そうだ、チャーハンを作ろう」

そう考えついた私はそのあしで近所のスーパーに向かう。このスーパーはあまり品揃えがよくないのだが、そんな地域密着型のような狭さがお気に理だったりもする。

チャーハンに必要な物を買い揃えレジに向かう途中カニカマを見つけた。しかしその隣にある物へとめが写った。

「サラダステックィック」

サラダスティックとはなんなのか。

皆が一番よく食べているのはカニカマであり、サラダスティックという名称では知られていない。

カニカマはカニのような風味がする蒲鉾だと認識しているがサラダスティックとはなんなのか。

サラダを食べるときに皆は思い思いの物をかけて食べているはずだ。

マヨネーズだったり、ドレッシングだったりするだろう。ドレッシングの中にもゴマドレッシング、シーザードレッシング、ドレッシングたちにも自我は存在していて自分たちが選ばれるのを今かいまかと待ちわびている。

人間はいつ行ってもないをしていても自分が一番になろうとして必死なのだ。ドレッシングは決して自分が選ばれようとする努力はしない。ドレッシング売り場でただじっと待っているだけの存在。

カニカマは自分から売りに行く努力をしたことで世界にそのなが知れ渡ることになった。

サラダスティックは違う。そんなカニカマを横目で嘲笑いながら何もすることはなかった。だから日本の食卓にはカニカマしか並ばないし、誰もサラダスティックなんて物は知る由もないのだ。

ちなみに昨晩買ったサラダスティックはカニカマよりも安かった。

実は裏で安くなる努力をしていたのかもしれない。裏で頑張る人はあまり評価されないとはこのことをいうのかと社会の縮図をみたような気分になっている。

そんなことを考えながらチャーハンを作り食べたわけだが朝起きてみると何かがおかしい。

私が昨日食べたチャーハンにはサラダスティックは入っていなかった。

慌てて探す鞄の中には忘れ去られたサラサスティックがこんにちはしていた。

忘れ去られたサラダスティックを供養するかのようにそのまま食べる水曜日の午後に私はドラえもんを読み始める。

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