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ウルルで見えてきた、聖地と観光地の境目



ウルルに到着後、ニンビンで一緒だった、よっちゃんと、かなちゃんの二人も合流して、総勢10人の大きなパーティとなった僕らは、夕暮れ時に入口で待ち合わせをして、ウルルピクニックに、それぞれ動き出した。


裸足組について行く。
「聖地」の感じ方は人それぞれあって、ウルルの頂上を目指す人、ウルルの周りをぐるりと歩いて周る人、なんだって自由だ。



ピクニックといえば、フルーツサンド。
早速休憩を始めて、後ろからやって来るみんなも、見事にここで立ち止まってしまう、無敵のフルーツサンド効果。




見事に動かない人達。

「土地の力」を感じてるのか、はたまた昨日の無茶な運転で疲れてるからなのか。
みんなこの巨大な岩を触ったり、くっついてみたり、少し離れて眺めてみたりしてる。

当時の僕は、ウルルとはどういう存在なのかを、よくわからないまま訪れた。


【オーストラリアに暮らす先住民族の1つ、
「アナング」を代表するSammy Wilson氏の言葉】

オーストラリアに暮らす先住民族の1つ、「アナング」。
「アナング」は、古来より、ウルル・カタ・ジュタ国立公園とその周辺を管理する番人のような存在だったそう。
そんな彼らは、ウルルを「先人たちの文化と精神が息吹く聖地」と考えています。
しかし、1870年代、欧米からの開拓者により、土地は奪われることに。そして、観光化が進められました。本来ならば、先住民たちが護ってきた場所。だからこそ、なんども彼らは返還を求めてきたのです。

そして、1985年。「Uluru Travel」によれば、政府から先住民へと、ウルル周辺の土地は返還されました。ただし、「Australian National Parks」と「Wildlife Service」に、99年間の“賃借”を条件に。

(TABI LABOより抜粋)



国立公園の閉園時間が迫ってきたので、最後尾一行は、一周するのを諦めて、入り口へ戻る事にした。

結局最初の数キロ歩いたところで過ごした事を、あとで地図で見て知ったのだった。


自分たちが“聖地”と位置付けるウルルに足を踏み入れる観光客、彼らからすれば心情穏やかではなかったことでしょう。Sammy氏は、こう述べます。
「非常に重要な場所なのです。ディズニーランドのようなテーマパークでも、遊び場でもないんだ」
Sammy氏は、オーストラリアを訪れる観光客のために、歩み寄りも見せています。
「観光客は歓迎します。ただ登山を禁止にするだけです」
ウルル・カタ・ジュタ国立公園の発表によれば、正式に「ウルル」に登れなくなるのは、2019年10月から。だけど、それまでにこの地を訪れる人は、彼らが護り継いでいるものも胸に刻んでおくべきなのかもしれません。

(TABI LABOより抜粋)




人生で知っておきたい知識って、案外学校では教わらない事も多い。

お金の成り立ちや、一般人の生活の歴史、生きることの意味、精神的文化、信仰、民族ごとの生きる知恵など、高校すら殆ど行かずに毎日踊って遊んで
た僕にとって、世の中は、まだまだ本当に知らないことだらけだ。


ヨーロッパの歴史的権力者の名前は習っても、アボリジニの族長の教えは習わない。
アメリカの有名な画家の描いた作品の事は知っていても、アボリジニのアーティストが描いた名画の事は知らない。

学校で習う教育ってのは、そういう偏ったものだ。

多様な世界は、そりゃ日々問題だって起こるだろうし、価値観の違いだって起こるだろう。
でも、それらを円やかにしてくれる、全ての根本にあるのは、優しさや、親切といった、相手を思いやる気持ちなのだと思う。



僕はそういう知恵や経験を、世界中の人達と仲良くなりながら、学び続けられたら、きっとそれは最高の人生なんだろうと思う。

やるのだ!





【TABI LABOで興味深かった記事】







【インスタでもオーストラリア・ダンス編やってます】



【感想はコチラが嬉しい】



【ケニアで出会った動物達を大判のポスターカレンダーにしました】


いや、これ誰かからサポートあった時ほんまにむっちゃ嬉しいんですよ!!