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ほんとのこというと実はいつも具合が悪い。というのはツライよね、

お金が無くて、仕事が無くて、人間関係が辛くて、といった類いの生に対する悲観的な気持ちで死にたいとかでは無く、健康でないということが、ただ生きているだけなのにこれ程までに生きていくことが辛いという事実。


それに対して言えることは、少なくとも必要なものは合成の薬ではないということ。

体質だとか、不定愁訴などで一蹴され、存在を無いものとされている瘴気。

しかし、本人にはあるとはっきりわかっている。

つまり頼るべきは「普通の」医師ではないということ。


近い将来きっとこれらに対処できる医師たちが続々と名乗りをあげてくれるでしょう。

形無きITの概念が当たり前になったように、風の時代と共に物質である薬も過去のものとなります。

そしてその瘴気は薬ではなくITで治すことができてしまうのかもしれません。

6 Gでは画面を通して患者の触診ができると言われているくらいですから。

陰謀論ではなく、この製薬業界を動かしている人たちはもちろん知っているのです。

(彼らのことをなんと呼ぶのかわかりませんが。)

エネルギー科学が医学に導入されてしまうと、全ての病気や不調は根治できてしまうし、そうなると人々は不定愁訴で封じられてた活力を取り戻し、本来の能力を多く発揮できるようになってしまう。

一方、長寿社会は、合成薬が必要な状態をより長く維持でき、合成薬では治らないが、死ぬことは防げる製薬業界のドル箱です。

だから決してエネルギー医学を普及させはしないのです。

この先も、まだまだ権威ある人たちによって、似非医学として批難され続けるので多くの人は興味を持つことすら拒絶するでしょう。

しかし、原子すらスカスカにすり抜け、その存在を捕えることが難しかったニュートリノの発見など、世界では量子物理により、エネルギー物質の可視化が進んでおり、それがエネルギー医学においてだけ否定されることは大いなる矛盾なわけです。

瘴気は、身体を覆う微細エネルギーの内部に蓄積されます。

蓄積された瘴気は病気ではなく、「病気の可能性」として物質的身体において分子レベルの遺伝暗号として固定され、次世代に遺伝していくと考えられています。

これがいわゆるカルマと呼ばれるもので、カルマは結晶化されて肉体的分子に刻まれているのです。

この結晶がいつ活動性の病気として顕在するかは、魂の力と、肉体を覆う微細エネルギーの特性との複合的な要因によって決まります。

病気は、微細エネルギーのパターンが物質的身体に投射されて初めて発症します。

瘴気は長い間微細エネルギーの内部に潜在しているうちに組織化され、物質的身体の周囲の生体磁場を通じて次第に分子レベルに浸透してきます。

それは細胞のひとつひとつに浸透そ、最終的には物質的身体の全体に浸透します。

これを取り除くということは本当に困難でしょう。

一般には治療するものとは考えられていません。体質のようにそういうものとして諦めてもらうか、難病指定にして諦めてもらうか。

我慢できないほど激しい痛みに襲われるわけではない。

地味にちょこちょこ辛いというのは気力を大変削がれるものです。

どこの科に行ったらいいのかわからない。

いつも異状なしと言われる。

検査してもどうせ何もわからない。

そんな症状を抱え何年生きている人たちがこの世に多くいる。

気にしすぎじゃない?どっか悪いのかもなんていつも思ってるから悪くなるんじゃない?

といったポジティブハラスメントにも耐えながら生きている。

気にしないでいられる人、気に病んでしまう人、それこそが纏っているエネルギーの違いで、エネルギーを修復すれば治ってしまうという至って簡潔なものだ。

しかし、エネルギーの修復は遺跡を掘り当てる作業のようにトライアンドエラーの繰り返しで一朝一夕で済むものではない。

だから、効かないだのイカサマといった声が出てしまうが、エネルギーの修復とはまさに遺跡と化してしまった自己のアイデンティティを取り戻す旅でもあります、

思いよらない効果から次のトライへの糸口が発見されることに期待をよせる、という繰り返しから、少しずつでも変化が起きていることを実感できるようになるでしょう。

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