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二代目市川猿翁

猿翁さんが13日に鬼籍に入りました。

私が歌舞伎を観始めたのは2008年です。猿翁さんがすでに病気に倒れた後でした。しかも私が歌舞伎ファンになるきっかけの亀治郎さんは甥でありながら、猿翁さん(当時 三代目猿之助)のもとを自ら出ていました。病に倒れてもそれは変わることはなく、亀治郎さんは澤瀉屋一門とともに舞台に上がることはありませんでした。

それが2009年11月、新橋演舞場で亀治郎さんが「鬼揃紅葉狩」を踊ることになりました。「演出 市川猿之助」と書き添えてあるではないですか。私が歌舞伎を観る前に一度だけ自主公演で指導をしたそうですが、本興行で接点が無かった亀治郎さんについた’三代目猿之助演出’という文字に心躍りました。

私は約1年間、澤瀉屋の演目に出演する亀治郎さんを観たことがなかったのでワクワクしていました。そして驚いたのです。澤瀉屋の鬼揃~の奇抜さ、楽しさ、アクティブさ(笑)姫姿で鬼の正体を現すと、恐ろしい形相に大股で去っていくではないですか。

さらに亀治郎さんの生き生きしていること!お家芸を踊る、演じるということは、こんなにも魂が反応して喜ぶものなのかと感動でした。

それを機にお家芸にチャレンジし三代目に教えを乞うという機会が増えていったように思います。そして「悪太郎」を踊っている姿を観た三代目が「二代目に似てるね」と言ってくれたそう。その公演中に「四代目を継いでほしい」と言われたと襲名記念の本の中にあります。


私が猿翁さんの生の舞台を拝見したのは2012年です。澤瀉屋三人同時襲名&團子初舞台の二か月連続公演です。最初の月は「口上」に登場しました。

猿翁さんが高さのある台の上に座り、両脇には猿之助さんと中車さん、團子くん、藤十郎さん。総勢15名が並ぶ圧巻の口上でした。

映像で見たお元気な姿ではありませんが、びっくりするほどお声が大きく、客席の隅から隅まで目線を送り、切り返す首や頭の動きにキレがありました。

役者さんとは舞台に上がってお客から’気’をもらうことで、こんなにも生命力に溢れることができるのだと心から感動でした。それに、口上の時は裏や袖で一門の全員が見守っていたとか。

私にとっては四代目を通して観る存在だったのが、どんな姿になっても舞台の上では命を燃やし続ける実在の役者として心に残りました。

四代目猿之助さんは幼い頃からずっとその背中を追い続けていたように思います。話す芸談には必ず先代の話題が出てくるし、神様のような存在なのだと言っていました。

私は三代目の映像を見てもあまりピンときません。もちろん古典でも新作でも映像で見ると面白いとは思うのです。でもやはり四代目に心が動きます。亀治郎さんの女方を観なければ、歌舞伎ファンの今の私はいません。

三代目だけでなく、先代たちがいて四代目がいます。繋いでもらったものを次世代に繋ぐ使命があると思います。でも、あえてそこだけに捕らわれず、今を生きる四代目猿之助の芸を次世代に繋いでほしい。私はそこに生きる意味があるのではと信じています。生きなければ無くなってしまうのですよ。三代目も四代目も唯一無二です。


猿翁さん、どうか猿之助さん、中車さん、團子くん、澤瀉屋一門の皆様を守ってください。育てたお弟子さんたちもスピリッツを継いでいます。作品から猿翁さんを感じていきたい。

こういう気持ちで「新・水滸伝」を観ることになるとは思いませんでした。南座へ。。。澤瀉屋の皆様を応援に行けることを嬉しく思います。全てご縁と思い楽しみます。

旅や観劇のことはMAGAZINEでお話します。

「天翔ける心」を持って生きたい。
有難うございました。


aya


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