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だけどそれは長いペナントの、一つの勝ちなのだ 【6/2横浜戦○】

みなさんは16連敗後の一勝の喜びを知っていますか?私は知っています。それは、セ・リーグにおいて、ヤクルトスワローズというチームを(なぜだか)応援することになった人たちだけに許された特権です。その喜びは例えるならば、優勝が決まった瞬間の喜びのようなものではないでしょうか。違いますかそうですか。

・・・いや、好きになってから優勝を経験したことはないけれど。優勝の喜びは知らないけれども16連敗後の一勝の喜びは知っている。

早めに球場へ着いて練習を見ていたら、バッティング練習を見たみやさまが、ぐっちに近づいて何かを伝えていた。ぐっちはそれを真剣に聞きながら、何度か素振りをして見せた。

試合開始前、ココちゃんといつものキャッチボールを始めたぐっちは、またどこか誰かのピッチャーのまねをしながらボールを投げた。ココちゃんも、ぐっちも、少しおどけた表情をして。

それは、いつもと同じ光景だ。目の前にあるものが「いつもと同じ」であることに、私はなんだかほっとする。大丈夫だ、と思う。それがいつもと同じである限り、いつかこのトンネルを抜けられる日はきっと来る。勝つ日も、負ける日も、野球がある限り、必ず訪れるから。

もう一生分のあらゆるパターンの負けを経験した気がした。あと一歩の負けもあれば、吐きそうな負けもあった。そのすべての負けに飲み込まれそうになりながら、いつもそこで何かを祈った。

そして今日、中4日のじゅりが気迫の好投をし(本当に中4日のじゅりって一体なんなんだ)、びっきーが走者と一緒に今までの悪いものまで全部一掃するようなタイムリーツーベースを放ち、ヤクルトは勝った。とうとう、勝ったのだ。

ビッキーはとても早口に、喜びのインタビューに答えた。レフトスタンドに、大きく手を振って。

本当にお待たせされた。21日間も待った。その間私はたくさんのことを学び、ヤクルトファンは悟りの境地に達しつつあった。

でも終わってみれば、今日のそれは、「いつもの一勝」だ。エイオキが打ち、てっぱちが打ち、ココちゃんが塁に出て、そしてどこからか急に現れる下位打線のかみさまが長打を放つ。そう、本当に「いつもの一勝」なのだ。

それは例えば、一年半ぶりに産育休を終え、もうぜったい仕事なんてできないとものすごい緊張しながら会社に向かったけれど、いざ席について仕事を始めてみたら、案外すぐにああそうだ、仕事ってこんな感じだった、と思い出すあの感じに似ていた。

とても劇的な気がするけれど、それは、前からずっと続く、ほんの小さな一日の出来事だ。そしてそれは、ここで終わりじゃない。これからまたずっと、続いてゆくのだ。

気温はぐんと上がり始め、外に出た瞬間に「ああ夏がやってくるな」と実感する。今年もまた、神宮に花火が上がる季節がやってくる。だけど夏はいつも、「暑いな」と思い始めた途端、すぐに去ってしまう。いつだって時間は前だけに進んでいくのだ。

何度も何度もため息をついた。たくさんたくさん心は折れた。これでもだめかと幾度も感じた。でもどんな時も、悪いことはずっと続くわけじゃない。すべてのものは移り変わってゆく。

そして流れる時間の中で私はまた思う。

96敗したり16連敗したりするこのチームを、決して強いなんて言い切れないこのチームを、好きになって本当に良かった、と。わたしの人生の彩りを、とてもカラフルにしてくれてありがとう、と。それは、このチームを知らなければ、好きにならなければ、知ることのなかった気持ちだ。

どんなに負けたって、それを乗り越えていこうとする人たちが好きだ。そこで、戦う人たちが好きだ。

負けても負けても、球場へ来てくれてありがとう。試合を見せてくれてありがとう。そのあとの一勝を、届けてくれてありがとう。・・・と、また騙されているかのようなことを私は思う。

まだまだ、物語は続いてゆくのだ。



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